教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

2023年4月のブログ記事

  • 教育随想 946回 2の段階 グタグタと注意の乱発 関係悪化

    学習中を含む学校生活のなかでグダグタ注意を乱発しない。 先生病というものがあります。 自分以外の人間をみると、つい口出しして指導しようとする。 先生は、退職してもだいだい見分けがつく。 まなざしが厳しいというか、きついというか、人を評価する目である。 子どもたちの所作は、大人の先生から見ると気にな... 続きをみる

  • 教育随想 945回 「あとでね」はダメ 「はい」と明快に

    2の段階 一人ひとりの子どもの心をひきつける 5月、6月ぐらいの期間です。 子どもの心をひきつけるとは、 子どもが先生の魅力を感じ取り「先生、いいなあ」と思うことです。 ①子どもからの話は、どのような場合でも、すぐその場で聞かしてもらう。            子どもたちが話したいときは、ぜひとも... 続きをみる

  • 教育随想 944回 一の段階 一人ひとりの子どもの心を捉える

    子どものことをじっくりと観察することが大切です。(以前にお話をしたように) できるだけ客観的に子どもを把握します。 日々、子どもたちの振る舞いに注意します。 朝の挨拶の仕方 友達との会話の様子 授業前の椅子に座っての待ち方 ノートの取り方 聞き方 話し方 休憩時の様子 学習用具の準備の程度 服装の... 続きをみる

  • 教育随想 943回  7月までの実践 かけがえのない学級を生み出すたにめに

    一学期は、学習や生活、そして、人間関係づくりにおける基礎をつくる時期です。 この期間をしつけと称して圧力をかけても、二学期になると学級や子どもたちは荒れてきます。 先生の一年間にかける努力の6割は、この一学期の実践にあります。 ちなみに、二学期は3割、三学期は1割です。 土を耕し、肥料を入れてかき... 続きをみる

  • 教育随想942回 子どもの顔は 親の顔

    街を歩いているときです。 大きな駅前にいました。 向こうから子どもと母親が手をつないで列をなして歩いてきます。 子どもを車道を走る車から遠ざけるようにして手をつないで歩いています。 そして、母親も列をなして歩いています。 最初は、遠目に見ていると、どこかの宗教団体なのかと一瞬思いましたが、近くの保... 続きをみる

  • 教育随想 941回  四月で子どもや学級をつくらない

    四月に新しい子どもたちの担任になります。 その子どもたちが自分の前を去っていく3月の姿を想像していますか。 三学期にはどのような子どもたちになってほしいか。 どのような学び方を身につけてほしいか。 学級集団として、どのように育ってほしいか。 一学期に、理想の学級や子どもたちを作ってしまわないことで... 続きをみる

  • 教育随想 940回 授業の始まり 指示待ちを減らす

    授業を始める時、いろいろな指示をだしますね。 先生によって違うと思いまずか、いくつか挙げてみます。 「はい、立ちなさい」起立➡礼 「今から算数の勉強を始めます」 「今日は、○○の勉強をします」 「教科書の何ペーシを開けなさい」 「ノートを開いて書く準備をしなさい」 子どもたちとの授業が一週間が終わ... 続きをみる

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  • 教育随想 939回  授業は、子どもの反応に瞬時に対応する難しさ

    授業者は、これくらいなら子どもたちは理解するだろうと考えます。 ところが、子どもたちは「わからない」という顔をします。 先生は「もっとよく考えなさい」「もっとよく読みなさい」と子どもを責め立てます。 考えてわからないから、子どもたちは悲鳴を上げているのです。 指導の仕方、順序の変更を求められていま... 続きをみる

  • 教育随想 938回 授業は三次元の世界 三つの関数

    授業は、教材・児童・授業者の三つの関数がお互いに影響し合っています。 それぞれについてお話します。 教材は、子どもと先生をダイレクトにつなぐものです。 授業者は教材を通して、子どもたちも教材に向かうことで学びます。 教材研究で考えることは 〇一人の大人として、この教材から何を学びとるのか。  子ど... 続きをみる

  • 教育随想 937回  先生の教育力は 子どもの表情の中にある

    前回と同様に「教育力」(斉藤孝)からの言葉を引用します。 「先生の教育力を見たいのなら、先生の言っていることよりも、教室の前のほうに立って生徒の顔を見ていたらわかる。生徒がどれだけ集中しているのかということで、その先生の教育力がわかる。一応、授業の形をとっていても、生徒の頭がはたらいていないで眠っ... 続きをみる

  • 教育随想 936回 先生の教育力 専門的力量

    「教師に求められるものを大きく分ければ、専門的力量と人格的力量」になろう。この二つは教師にとって不可欠なものである。」(「教育力」斎藤孝より) 現場の先生を知る限りにおいてわかることは、専門的力量が今一つというところである。 悲しいかな、先生は、指導書に沿って授業を進める限り、外見上は様になります... 続きをみる

  • 教育随想 935回  授業の基本は 講義形式にあり

    新年度、授業を開始する時、話し合い滑動を取り入れることがあります。 子どもたちの実態がまだわからない時には、独り学習に徹します。 先生を中心とした一斉学習をします。 子どもの前で、一時間、講義をすることができますか。 先生のお話だけで、子どもを退屈させないように話すことができますか。 45分間は大... 続きをみる

  • 教育随想 934回 学習技能のつながりを大切に 単元「言葉の準備運動」

    どの学年を受け持っても、その教科において、低学年からどのような学習をたどってきたかを把握しておく必要があります。 場合によっては、前学年の内容を復習してから学習に入ることもあります。 6年国語の教科書の最初の単元に「言葉の準備運動」があります。 これは、3年生から継続された指導の最終段階になってい... 続きをみる

  • 教育随想 933回  6年国語「ものの考え方、伝え方」分類と比較

    「考えるときに使おう」中学年の国語の教科書に掲載されています。 その中では、「分ける」「くらべる」の方法を学ぶようになっています。 分類と比較。 どの教科でも使えることです。 分類は、いろいろな資料、意見などを分けることで分かりやすくなります。 比較は、相対的に比べることで、考え方が深まります。 ... 続きをみる

  • 教育随想 932回 教科書の目次を生かして 学習意欲を膨らませる

    一年間、これから勉強する内容を概観できるようにします。 そこには、期待感が生まれます。 そして、子どもたちの好き嫌いを先生は把握することができます。 これは、どの教科でも実施します。 国語を例にとります。 「今日の勉強は、ぱらぱら勉強です」(ページをぱらぱらめくるから)   …子供たちは不思議がり... 続きをみる

  • 教育随想931回  最初の授業は 表紙から始める

    「今日から国語の授業を始めます」 子どもたちの机上を見ます。 「教科書のページをすでに開いていますね」(意欲的な子) 「A君は、教科書を閉じたままですね」 A君はあわててページを開こうとする。 「A君は教科書の表紙を見ていましたね。いいですねえ」 「みんなは、どうして表紙を飛ばしてページを開いたの... 続きをみる

  • 教育随想 930回 肯定も否定もしないニュートラルな状態  4月の学級経営

    新学期が始まり一週間ぐらいは、多くの子どもたちはおとなしいです。 新しい先生に気に入られたいという思いがあります。 周りの子どもたちとの親密度が浅いということもあります。 今年こそはがんばりたいから、最初からまじめにいこうと考える子もいます。 そのような子どもたちも時間がたつにつれて、本来の自分を... 続きをみる

  • 教育随想 929回 授業を通して 子どもたちと仲良くなる

    学級づくりは、一人一人の子の学習意欲を中核として、集団生活の働きを高め、学習効果の発展をはかることです。 学級づくりは、仲間づくりとも言い換えることができますが、それは、あくまで、学習意欲を増幅させる授業をとおして実現可能なものです。 子どもたちが勉強にやる気を持ち始めると、不思議に、生活意欲に影... 続きをみる

  • 教育随想 928回 子どものどんな情報を集めたらよいか 事実からのスタート

    指導にあたって、できるだけ多くの情報を集めます。 事前に集めておく情報は 〇病歴、けが、アレルギ―体質の有無 〇昨年までの健康診断表を閲覧。 〇指導要録の閲覧・・・子どもと出会って一週間を経過してから。 ➡まずは、先生の子どもに対する印象を大切にする。 〇昨年度までの学習成績の把握・・・教科の得意... 続きをみる

  • 教育随想 927回 子どもと仲良くなりたいなら「へつらうな」

    道の駅に小学生を乗せた観光バスが入っていました。 低学年ぐらいの子どもたちです。 トイレ休憩のために道の駅に駐車しているのでしょう。 私が車から降りると、私に向かって数人の子どもたちが窓越しに手を振っています。 顔をくちゃくちゃにしながら私に向かって合図を送っています。 私も笑顔で手を振って応えま... 続きをみる

  • 随想 926回 子どもの印象・表情に 関心をもってチェック

    新学年に先だって、子どもの名前を覚えられる先生がおられます。 始業式の日にさりげなく子どもを見て、その子の名前を呼びます。 子どもたちは「えっ、ぼくのこと、知っているの?」と驚きの表情を見せます。 そして、「私は」「ぼくの名前を知っているの?」とせがむようになります。 サプライズを期待しています。... 続きをみる

  • 教育随想925回 担任になっても 先生にはなれない

    担任になると、子どもの前に立つだけで、子どもたちは先生の話を聞きます。 先生の指示にそれなりに従います。 子どもとの交際歴は初日のわずか1日だけなのに。 お互いの親密度は0に近いです。 もちろん、担任が代わったというだけで寄ってくる子どもたちはいます。 しかし、子どもたちにとっては、先生という肩書... 続きをみる

  • 教育随想 924回 新年度 子どもたちの意欲を高める教室準備

    いよいよ、新年度、に入学、進級した子どもたちを迎え入れる時がきました。 先生は、気分もリセットして新しい子どもたちと出会います。 子どもたちも「今年こそは・・・・」と学習や生活において気分を新にして登校します。 さて、子どもたちが登校したとき、何をもって「進級したなあ」という気持ちをもつでしょうか... 続きをみる

  • 教育随想  923回 よい子って どんな子かな

    「よい子であれば好かれる」「勉強ができたら愛される」「完璧に物事をこなせば非難されることはない」と、ひたすら思って生きている子どもがいます。 もっと、自分の本当の思いをだせばいいのにと思います。 何でも大人の言われたとおりやってみようとする子がいます。 表情は硬いです。 どことなくまわりの友達の表... 続きをみる

  • 教育随想 922回  子どもの中から 自分が抜ける

    子どもは、無意識のうちに、家庭においても学校においても、自分の安全を得ようとしています。 家庭においては、衣食住の保障、精神的なゆとりを得るために、無意識のうちにある行動をとろうとします。 子どもにとって家庭は最後の砦です。 親から見放されることが一番つらいですね。 私は、おさないとき、母親が私を... 続きをみる

  • 教育随想 921回 役割的人間関係から 教育的人間関係へ

    先生として自分は成長したと自負することがあります。 これだけ頑張ったのだからそれなりに成長しているはずだと思うことがあります。 「教育は人間だ」と思いながら、その「人間」を子どもたちにすり替えていることがあります。 その人間とは「自分自身」であることは明らかです。 先生が、教員として、教師として成... 続きをみる