教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 941回  四月で子どもや学級をつくらない

四月に新しい子どもたちの担任になります。
その子どもたちが自分の前を去っていく3月の姿を想像していますか。


三学期にはどのような子どもたちになってほしいか。
どのような学び方を身につけてほしいか。
学級集団として、どのように育ってほしいか。


一学期に、理想の学級や子どもたちを作ってしまわないことです。
かつて、私の友人が本を書いたときのことです。
「子どもは、最初の一週間で決まる」
これは、校長先生も最初に話されることがありました。
仮に、一週間で決まるなら、そのあと何をするのでしょうかという疑問をだしたことがあります。


新学期、最初の指導が大事であるという一面はあります。
しかし、その指導したことが、一年間継続されていくものでしようか。
ノーですね。
継続されないことを、子どもたちに圧力をかけて指導する必要があるのでしょうか。


学級や子どもたちの立ち振る舞いを整えることが優先されます。
子どもたちの内面から生まれた振る舞いではありません。
それも間違っているとは思いません。
武道も形から入ります。
しかし、武道は、同時に精神的な面を意識しての型をつくります。


先生は、一人ひとりの子どもの今の姿を把握します。
同時に、その子の未来の姿も想像します。
先生の前に集まった子どもたちは、希望して集まったわけではありません。
義務教育として集められているのです。
先生は、集めた子どもたちを立派に成長させて、次の学年に引き継ぐ責任があります。


そのための猶予期間は1年間です。
決して一カ月ではありません。
一カ月でできることも一年かけて熟成させます。


先生の都合で、子どもにしつけと称して型にはめないようにします。
おもしろいことに、早く子どもや学級をつくってしまうと、壊れるのも早いです。
大体6月ぐらいになると、子どもたちの静かな反抗が始まります。
騒がしいだけが崩壊ではなく、沈黙の抵抗をすることも崩壊です。


あわてないで、まず、子どもとつながりましょう。
「先生となら一年間頑張れそうだ」と子どもたちに言わせましょう。(心の中で)
子どもにとって、ぼくのわたしの先生になれるように努力します。
今は、子どもたちにとって「〇年〇組の担任」でしかないのです。
やがて、「わたしを育ててくれる先生だ」と思える子どもが現れます。

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