教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 937回  先生の教育力は 子どもの表情の中にある

前回と同様に「教育力」(斉藤孝)からの言葉を引用します。


「先生の教育力を見たいのなら、先生の言っていることよりも、教室の前のほうに立って生徒の顔を見ていたらわかる。生徒がどれだけ集中しているのかということで、その先生の教育力がわかる。一応、授業の形をとっていても、生徒の頭がはたらいていないで眠っているようでは、教育としての意味がない。」


これは、私が授業を参観する時に大切にしてきたことです。
参観をするときは、教室の横、やや前に位置します。
先生の発問やはたらきかけを耳に入れながら、子どもたちの表情を観察します。
先生の顔を見てはいけません。


どもの顔の中に授業の値打ちを判断する根拠があります。
先生のどの働きかけに強く反応したか。
どの言葉や指示で子どもたちは近づいたか、それとも離れたか。
最初から最後になるにつれて、子どもの表情は明るくなったか。


さらに、表情以外のところにも目をやります。
それは、机の下の足の動きです。
机の上の上半身がしつかり立っていても、目に見えにくい足が動いていることがあります。
特に、低学年では顕著です。


よく先生方は、授業研修の時に、授業者の教室の掲示物に気を取られています。
掲示物は、意図的につくることができます。
レストランの看板です。
「おいしいです」という内容の看板をあげていても、食べたらその結果はわかります。
掲示物も同じです。
手のこんだ掲示資料をつくってあっても、それが子どもに影響を及ぼしているかどうかは別のことです。



授業参観する時、私は、授業開始前の休憩時間には教室に入ります。
そして、休憩が終わって入室する子どもたちの表情を観察します。
そこに、次の授業に対する期待がどのように表れているかがわかります。
ゆっくりと入室する子、さっと入り着席して次時の授業の準備をする子。
参観前に、先生が教科書やノート準備をさせていますので用具の準備だけではわかりません。
今日勉強するところの教科書が開かれているかどうかも大切な観察ポイントです。


授業は生きています。
たえず、先生の言葉、働きかけと子どもの表情は呼応しています。
さらに、子どもの先生を見つめる表情を見れば、親しみをもっているかどうかがわかります。
反発している子の表情はすぐにわかりますね。


よい授業があるとは思いません。
ただ、子どもを少しでも明るくすることができたかどうかです。
そのことが学びの意欲につながったかどうかです。

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