教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

2023年1月のブログ記事

  • 教育随想883回 4年 国語「ウナギのなぞを追って」学習指導計画

    4年生最後の説明文です。 説明文の4年生としての読む力を達成させるための教材です。 1.単元設定の趣旨 ○ 長期にわたるウナギの産卵場所を探る調査報告文である。 ○ 調査過程で明らかになる事実とそれに対する考察のおもしろさ、長い年月をかけて地道な努力を重ねる研究者の姿勢、前半のマクロな視点からの経... 続きをみる

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  • 教育随想 882回 子どもは 先生の言葉ではなく 行動に従う

    昔から誰もが分かっていたことです。 「教育は人間である」「教師である前に人間である」とよく言われる言葉です。 先生と子どもからも保護者からも呼ばれていると、いつしか、自分が偉くなったような気になります。 子どもたちを指導する立場にたつと、どこかで命令口調が多くなるものです。 その癖がレストランで会... 続きをみる

  • 教育随想 881回 授業方法に変化がおきた1950年代

    子どもたちの学力の向上をめざした教育団体は増えてきました。 国語の世界では、生活綴り方の見直しが行われました。 以後、「日本綴り方の会」「日本作文の会」と名前が変わりました。 作文を通して、社会や自分を見る目を養うことをねらいとしました。 理科では、1963年に科学史の専門家である板倉聖宣(いたく... 続きをみる

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  • 教育随想 880回 ゆとり教育 子どもの主体性に疑問

    ゆとり教育の総合的学習の授業は、子どもの関心、意欲に委ねた学習でした。 子どもの主体性を重んじた学習でした。 学習課題も子どもが主体的に決めるものでした。(理想として) ところが、子どもが課題を決定できる能力は育てられていませんでした。 「どうしていいかわからない」迷える子どもたちを指導者は助言で... 続きをみる

  • 教育随想 879回  「ゆとり教育」の弊害は 今なお続く

    1977年に「詰め込み教育」が批判され、勉強すべき量を減らせば 「落ちこぼれ」や「登校拒否」が解消されるだろうと言われました。 2002年まで指導要領が改訂されるたびに、学習内容と授業時間は減り続けました。 このゆとり教育の導入は、儒儀容の根本部分が壊されました。 私は、ゆとり教育の導入されるとき... 続きをみる

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  • 教育随想 878回 授業にドラマがなくなった

    授業が説明的で平板になっています。 子どもの理解過程は計画しますが、思考過程が乏しいです。 指導案をみせてもらっても、指導者がどこを山場にするのかよくわかりません。 先生方は、指導案を立てられるとき、子どもたちがつまずかないように計画します。 理解しやすいように流れをつくります。 授業進行において... 続きをみる

  • 教育随想877回 授業参観 私の視点(6) 授業の始まりと終わり

    授業が本当に子どもたちにとって意味のあるものになったかどうかは、子どもたちの表情に表れています。 さらに、参観者にも心地よい感動をあたえています。(余韻) を 授業の最初から最後まで重たい空気に包まれて学習が進んでいることがあります。 いわゆる、平板な授業です。 教えて理解させるだけの盛り上がりの... 続きをみる

  • 教育随想876回 授業参観 私の視点(5)発表時の先生と子どもの視線

    先生の様子を観察します。 子どもたちは、活発に発言しています。 授業者は、その発言を聞いてうなずいています。 自分の予想した意見がでるとにんまりです。 そうでないと「そうなの」と簡単に受けます。 なかには、ほとんど反応しない指導者もいます。 ちなみに、私は、すべての子どもの発言に反応しないことが多... 続きをみる

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  • 教育随想 875回 授業参観 私の視点(4) 子どもたちの発表

    研究会に行くと、子どもたちは、普段から発表の訓練を受けている様子がわかります。 地方に出かけても、その発言の仕方はさまざまです。 先生方はいろいろ工夫されています。 挙手発言 多くの学級に見られる子どもたちの姿です。 発言の時にたって発表するクラスもあります。(椅子を引く音が気にならないのか) 挙... 続きをみる

  • 教育随想874回 授業参観私の視点(3) 授業開始時の意識と眼差し

    いよいよ授業参観が始まります。 普段の授業はわかりませんが、大概は始業チャイムの前に指導者は入室。 ふだんもそうあってほしいのですが、諸般の事情があるのでチヤイムの合図前に入室できないこともありますね。 さて、授業前、開始時の授業者を見てみましょう。 服装です。 ふだんは、ジャージ姿で授業される先... 続きをみる

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  • 教育随想 873回 授業参観 私の視点(2) 休憩時間の机の上

    今、参観する立場で授業を見ていますが、同時に自分の授業技術を磨く場でもあります。 人のふり見てわがふりを見直すためです。 決して、授業参観のあらさがしではありません。 あらさがしは、自分の技術向上には役立ちません。 あらをさがすのは、多分に感情的なものを含んでいるからです。 学習と学習の間には必ず... 続きをみる

  • 教育随想 872回 授業参観 私の視点(1)足と指の動きに注目

    子どもの集中の度合いは、次のようなところで判断します。 よそ見していないかどうか。 姿勢がよいかどうか。 しかし、それらは、子どもが意識して頑張っているふりをするために、意識的にできる動きです。 子どもの姿は、小さなところに表れます。 一番目は足の動きです。 特学年ほど、足の動きに注意します。 足... 続きをみる

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  • 教育随想 871回 他校の授業発表会 授業参観は一番最後

    授業研究会で他校を参観することがありますね。 各教室の授業発表があります。 学校の玄関は、色とりどりの花が植えられています。 玄関前の掲示は、学校の方針を訴えかけています。 「私たちの学校は、このような取り組みをしています」 私が学校参観で興味があるのは、その学校の子どもたちです。 だから、すぐに... 続きをみる

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  • 教育随想 870回 言葉かけ指導に効果なし

    言葉だけの教育とは、口先だけで「こうしなさい」「わかりましたか」という言うだけの教育。 先生は、「どのような言葉かけが必要ですか」「どのように言葉かけしたら子どもは変わりますか」と言われます。 かつて、一日、私の学級を参観された先生と放課後に話した時です。 先生方の質問のほとんどが、私が子どもたち... 続きをみる

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