教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 939回  授業は、子どもの反応に瞬時に対応する難しさ

授業者は、これくらいなら子どもたちは理解するだろうと考えます。
ところが、子どもたちは「わからない」という顔をします。
先生は「もっとよく考えなさい」「もっとよく読みなさい」と子どもを責め立てます。
考えてわからないから、子どもたちは悲鳴を上げているのです。
指導の仕方、順序の変更を求められています。


その変更する時に大切なことが授業者の教材に対する深い理解です。
教材を深く研究することで、子どもたちのどんな考えも受け入れることができます。
そうでないと、子どもたちが先生の意図しない発言をすると
「それはちがうね」「もっとよく考えなさい」「そんな考えもあるけど、今は・・・」
すべての子どもたちの考えに対して対応できなくなります。


授業において、子どもたちがどのように変化しても、先生の教材に対する認識は変わりません。
教材の大切なところから外れないようにします。
教材を多角的に解釈していることが子どもたちを多面的に指導できるのです。


子どもたちの反応に対応できるためには、常に、目の前の子どもの事実だけ見ています。
子どもの表情、視線ですね。


かつで、私は、私の師匠に授業を(はるばる遠くからこられて)参観していただいたことがあります。
その時に、今でも印象に残っていることがあります。
「あなたは、あの場面でちらっと自分の時計を見ましたね。あの時があなたの授業はきれてしまったのですよ」(先生の言葉)
わたしが時計をみたことで、子どもから目を離したということでした。
一瞬でも目を離さないようにと指導を受けていました。
だから、私は、子どもに働きかけている時は、手に教科書をもっていません。
教科書の内容は頭に入れて、子どもの前に立ちます。
それでも、時々、覚えていることに自信がなくなり見てしまうことがあります。
極力、子どもから目を離さないことですね。
子どもの反応に対応するとは、子どもの事実から目をそらさないことです

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