教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1120回 先生という肩書で指導しない

指導しやすい子なんていないです。
もし、簡単に指導できたとしたら、相手の子供が無理をしているかもしれません。
子供は刹那的です。


先生に好かれたい、嫌われたくないのです。
それができなくなったら抵抗し始めます。
先生は、自分の意思に関わらず子供に対して権力を持っています。
「先生という肩書が見えぬか」水戸黄門まではいかないですが。


権力は、子供たちに無理を強いることがあります。
先生から子供一人ひとりは見えにくいです。
しかし、子供たちから先生は裸の王様なのです。


この先生は、どうしたらほめてくれるか。
どんな場合に叱るか。
機嫌の良いときの表情は。
子供たちのなかには「ことし先生のクラスになってよかったわ」と公言する。
どうしたら先生の親衛隊になれるのかを知っている。


先生は、友だち感覚で接していこうとする。
先生と子供は永遠に友だちになれない。
先生は、学問的にも人生経験においても一段上にいる、いなければならない。
この自覚が先生には必要である。
一段上であることを授業、生徒指導を通して理解させる必要がある。
先生は肩書ではなく、実質的な子供との差を具現化させる


肩書で叱るな。
叱りたいことを我慢すると子供とのつながりができる。
頭だけで指導するのではなく、体全体、皮膚全体で子供と接する。
先生という肩書は何の役にも立たぬ。
一年間が終わるころに、子供たち一人ひとりが「ぼく、わたしの先生だ」と思われたらいい。


何度も言います。
肩書は先生の指導力とはなんら関係ないです。
人間味が大事だと言われます。
その人間味とは何か。
それは、先生が人間として自己凝視の目をもち、自己反省を続けることではないでしょうか。

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