教育随想942回 子どもの顔は 親の顔
街を歩いているときです。
大きな駅前にいました。
向こうから子どもと母親が手をつないで列をなして歩いてきます。
子どもを車道を走る車から遠ざけるようにして手をつないで歩いています。
そして、母親も列をなして歩いています。
最初は、遠目に見ていると、どこかの宗教団体なのかと一瞬思いましたが、近くの保育園に迎えに行った帰りであるということがわかりました。
親同士が横一列になって雑談している姿はありません。
車の往来が激しいので、子どもたちを守って歩くという姿勢が顕著に表れていました。
近くの産直市場です。
新鮮な野菜を求めて混雑しています。
私は妻と連れだって買い物をしていました。
ふっと、野菜をのせている台の下から子どもの声がしてきました。
下をのぞくと、三人の就学前の子どもたちが台の下に入って遊んでいるのです。
台の下から急に体をだして、場所を移しています。
買い物客とぶつかりそうになります。
親が指導してほしいと思いながら周囲を見渡しました。
そうしているうちに、三十代ぐらいの二人の母親が少し離れたところから「あぶないよ」と声かけをするだけで、自分たちの買い物をしています
家庭教育、地域教育が以前のように機能しなくなりました。
地域の子どもに危険だからと注意しても、親は、その様子を不服そうにながめています。
余計なことをしないでと目が語っています。
子どものまなざしが柔らかい子どもは、そのお母さんも柔和な表情をなさっています。
子どもは親が教えた通りの道を生きていきます。
やがて、思春期にさしかかると、親のひいたレールの上からはみ出そうとします。
自我の目覚めがやってきます。
私は、道を歩いているとき、子どもの表情がいいなあと感じたら、必ず、その子のお母さんの顔を見ます。
このお母さんだから、この子の表情が素敵なんだと納得しています。
家庭訪問に出かけるとき、私は楽しみにしていたことがありました。
それは、子どもの表情から親の表情、印象を想像することでした。
子どもが親の影響をどれだけ受けているかがわかります。