教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 946回 2の段階 グタグタと注意の乱発 関係悪化

学習中を含む学校生活のなかでグダグタ注意を乱発しない
先生病
というものがあります。
自分以外の人間をみると、つい口出しして指導しようとする。
先生は、退職してもだいだい見分けがつく。
まなざしが厳しいというか、きついというか、人を評価する目である。


子どもたちの所作は、大人の先生から見ると気になってしかたがない。
年齢差があるのだから当たり前のことである。
自分の子供の頃を思い出すことで、目の前の子どもたちを受け入れられる。


服装、「チャックをしめなさい」「襟をただしなさい」
用具の使用法 「丁寧に扱いなさい」「道具を大事にしなさい」
おしゃべり 「言葉づかいに気をつけなさい」「乱暴な言葉はだめ」
話し方 「あなた早口だからゆっくりと話しなさい」
     「何を話しているかわかるように言いなさい」
字の書き方 「もっと丁寧にかきない」「形を整えなさい」
      「読んでわかるように書きなさい」
ノートの使い方 「空白が多すぎるよ」「整理して書きなさい」
これ以外に多々あるはずである。


4月に出会った子供たちに、頭から注意されたら子供はフリーズするか反発するかのどちらがである。
先生の基準は、今まで指導してきた子供たちの姿である
あの時の子供たちもあれだけできたから、今年の子供たちも・・・。


一年間指導してきた学年末の子供たちと、出会ったばかりの4月の子供たちとでは大きく異なるのは当たり前である。
でも、どうしても比べてしまう。
このギャップが「今年の5年生はね・・今までとは違うなあ」と愚痴。
注意したい気持ちはわかる。


医者が症状を見て、治療できる薬をすべて与えるようなものである。
症状に合わせて与えるべき薬を一度に与えると副作用が強くなる。
先生も注意したいことを指導すべきこととして、整理して段階的に入れる。
あくまで、目の前の子供に対応することが重要である。
さもないと、4月から一か月も立たないうちに子供たちのしつけができてしまう。
「もう、うちの学級は私の指示に従えるようになった」(お気の毒に)
先生が主人公の学級ができて自己満足する。


前にもお話したが、子供とはほとんど親近感のない関係である。
道歩く人に注意をするようなものである。(けんかになるかな)と

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