教育随想 930回 肯定も否定もしないニュートラルな状態 4月の学級経営
新学期が始まり一週間ぐらいは、多くの子どもたちはおとなしいです。
新しい先生に気に入られたいという思いがあります。
周りの子どもたちとの親密度が浅いということもあります。
今年こそはがんばりたいから、最初からまじめにいこうと考える子もいます。
そのような子どもたちも時間がたつにつれて、本来の自分を表出してきます。(野性化)
前の担任が厳しすぎた場合、その反動が表れます。
しかし、先生によっては、いや多くの先生は、早くしつけて自分の学級にしなければならないと考えてしまいます。(交際期間が短いのに)
そこで、最初から学級のきまりや目標を押しつけます。
子どもたちにとっては、住みにくい教室になります。
先生にとっては管理しやすい教室になります。(仕方がない面もあるが)
4月は先生と子どもとの信頼関係は薄いです。
そのなかにあって、厳しくしつけてしまうと反発だけが浮かびあがります。
それでも、担任になると周囲の目が気になります。
同じ職員の目、保護者や地域の目を考えないわけにはいかないです。
朝会のときには、態度の悪い子どもたちを注意せざるえないです。
注意しないと、管理職が「どうして、あの子たちを注意しないのですか」と指摘します。
そのように言われると担任としてはつらいです。
それでも自分自身に見通しがあれば、自分のやり方を通せるのですが・・・。
かつて、荒れた学級を受け継いだ時、集会や行事において、行儀の悪い子どもたちが目立ちました。
私は、見守っているだけでした。
思い余って他の先生が注意に入りましたが、全く従おうとはしません。
それだけ、子どもたちの先生に対する不信感はたまっていたのです。
「どうせぼくらはだめなんや」「頭、悪いもんね」「先生、ぼくらをよくしようと思っても無理だよ」・・・。
私には、彼らの言葉が真逆に感じました。
「先生、ぼくらをなんとかしてよ」「勉強できるようにしてよ」
小鳥を手でつかむとき、ぎゅっと力を入れすぎると小鳥は苦しがります。
小鳥が飛ばない程度にやさしく包むようにして手の中にいれます。
子どもたちにも同じことが言えます。
低学年の子どもたちは特にそうですね。
教室に入ります。
ざわついていた子どもたちも、先生が入ってくると一瞬静かになります。
先生は、子どもたちの好奇のまなざしにさらされます。
初日からうるさく注意しません。
子どもたちは、先生がうるさく注意することを待っているからです。
「やっぱり今年も同じ先生だなあ」と諦めます。
担任は自己紹介をします。簡単でいいです。
特に、家族のことについてはあまり語らないほうがいいです。
子どもにとって、先生の家族の情報は必要ないからです。
家族である子どもの話をすると嫌がる子どもたちもいます。嫉妬です。
最低限のルールは言葉で示すのではなく、できるだけ先生の行動で示します。
授業開始のチャイムを守らせたいなら、先生がチャイムと同時に授業を始めます。
先生が5分でも遅れてくるようであれば、子どもたちもそれにあわせて入室が遅くなります。
もちろん、そのためには、終了のチャイムがなれば、勉強がどんなに途中であっても「終わります」と一言で切り上げます。
清掃活動は簡単な掃除の仕方については指示しますが、できるだけ子どもたちに任せます。
ただし、「掃除のあとは先生が点検します。終わったら連絡してください」と伝えます。
当番立ち会いのもとに、できていないところを子どもたちと一緒になって清掃します。
「どうして、こんなことができないの」ではなく、できていない所を先生も一緒になってやり直し、行動を通して修正していきます。
ここで注意することは、清掃は、前の学年で指導されてきたことを踏襲しています。
これは、清掃だけでなく学習や朝の会、学級会の運営なども受け継いでいます。
これらをいきなり否定しません。
子どもたちの活動の様子を先生は観察します。(4月いっぱい)
肯定も否定もしません。
強く注意したり修正したりすると、好きな前の担任の先生を否定されたことになり、子どもたちはやがて心の中で反発をするようになります。
肯定も否定もしない状態が4月の学級経営です。
4月は、一年間のなかで最も先生が耐える時です。
私は、いつも胃が痛くなったものです。