教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 506回 3年道徳「あいさつ名人」から 挨拶される側の視点で指導

3年生の道徳の教科書に「あいさつ名人」という教材があります。
指導目標は
挨拶が苦手だという「せいやくん」こそ、本当のあいさつ名人だと気づいたぼくの姿を
通して,挨拶について考えさせる。
①相手に対して真心をもって接するために大切なことを考えさせる。
②相手の立場や気持ちに応じた言葉づかいをしようとする心情を育てる。


挨拶の問題は、どの学年でも取り上げられています。
学級指導や学校全体全体指導においても、何度も繰り返されてきました。


挨拶を考える時、原点に立ち戻るようにします。
挨拶運動に見られるように、相手を見ないで「元気で大きな声」を出している姿。
元気であればいいと指導してきた経緯があります。


 挨拶とは、13世紀ごろ、中国から紹介された禅宗用語です。
 挨(押す)拶(近くすり寄る)というのが原義です。
そこから、「身を寄せて押し合う」「押しのけて進む」
さらに「互いに切磋琢磨する」「問答」のちに「日常的な挨拶」になります。


明治以前では、たんに頭を下げたり、言葉をかわすだけでなく、ある種の関係をもつ点が見受けられたようです。


 そこで、挨拶とは、言葉をかけるだけではない。言葉は大切だか、相手に心配りを 
しない挨拶は、すでに挨拶ではないと考えさせたいものです。
  挨拶は、相手とつながろうとする試みです。
  挨拶の声の大きさ、速さ、高低も相手によって異なるものです。
  何よりも、大切なことは、挨拶は、相手とつながることです。
  この人と人の関係性が抜け落ちているように思います。
  登下校の子どもたちの挨拶を受けるにつけて、言葉だけが独り歩きしているようです。


教材について
通りすがりにあったおばあちゃんに対して、二人の子どもが挨拶をしています。
「ぼく」(主人公)は、大きな声で「おはようございます」と声をかけました。
おばあちゃんは、それに対して「おはようございます」と返事をしました。


ところが、ふだんおとなしい「せいやくん」は、おばあちゃんに対して、「足、だいじょうぶてすか」と声をかけました。
すると、そのおばあちゃんは
「まあ、ありがとう。ちょっとつまずいてね。心配してくれてたのね。」
とおばあちゃんは、うれしそうに笑いました。
すると、ぼくは、それを見て、自分は、おばあちゃんの顔しかみていなかったことを反省します。
せいやくんが、おばあちゃんに「大事にしてくださいね」と言葉を付け加えたことを見て
せいやくんを本当の「あいさつ名人」だと思いました。


この教材の児童用の手引きがあります。
ぼくが、せいやくんをあいさつ名人だと思った理由を考えさせています。
さて、この教材は、挨拶をする側から問題提起しています。
挨拶を受け取る側の視点から見ていません。


そこで
二人の挨拶をおばあちゃんがどのように受け取ったかを考えさせることが大切である。
すなわち、挨拶をする側ではなく挨拶をされた側から挨拶を考えるべきである。
 二人の挨拶の違いは、おばあちゃんの受け取り方の違いである。


このように挨拶を受け取る側からの視点にたって、挨拶を考えることで、人と人とのコミュニケーション、関係づくりの大切さを考えさせたいものです。


ちなみに、「あいさつ名人」の「名人」は好きではありません。
子どもたちが「名人」になることが目的化してしまうからです。
当たり前の挨拶が特別なものとして扱われないようにしたいものです。