教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 922回  子どもの中から 自分が抜ける

子どもは、無意識のうちに、家庭においても学校においても、自分の安全を得ようとしています。
家庭においては、衣食住の保障、精神的なゆとりを得るために、無意識のうちにある行動をとろうとします。
子どもにとって家庭は最後の砦です。
親から見放されることが一番つらいですね。
私は、おさないとき、母親が私を叱るとき、「もう帰ってこなくていいから出ていきなさい」と言われたことを今でも覚えています。
その時に、追い出されたらどこで寝たらいいのか、食事はどうすればよいのかと不安になりました。
親のその一言は、子どもにはこたえますね。


だから、子どもが家庭で自分の存在を確保するためには、親に好かれることです。
好かれることで、親が自分に愛情を注いでくれることを知っています。
相手に好かれている間は、自分を攻撃されないからです。
これは、当然の気持ちです。


ただ、この気持ちが学校においても表れていることがあります。
友達や先生に好かれることです。
好かれるために、何をすればよいかを探ります。
時には、自分の気持ちを殺してまで相手が気に入るように行動します。
へつらうことです。いじらしいぐらいです。


子どもは、自分の行動がほめられると、そのことに力を入れます。
周囲が期待していることを目指します。
もちろん、自分がしたいことと一致していればいいのですが。
相手に好かれるためにかんばります。(このことは、プラスである反面マイナスもあるということ)


愛情に満たされている子どもは、何もしなくても、そこに生きているだけで「自己価値観」を感じることができます。
しかし、好かれるために行動している子を見ていると、いつも不安と背中合わせになっています。
「いつか嫌われる」という不安です。
特に、先生に対して不安をのぞかせることがあります。


子どもに好かれることは、大人にとって悪い気はしません。
でも、そのことが、子どもの心を束縛するかもしれません。
先生は、そうではないと否定しても、そこに、子どもの先生として立つ以上、子どもは目に見えない束縛を感じています。


大人にあわせようとして自分の本心を隠します。
自分を捨てたりすることもあります。
やがて、自分の中から自分という人間が抜けていきます
そして、「よい子」として自分の位置を確立します。

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