教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 871回 他校の授業発表会 授業参観は一番最後

授業研究会で他校を参観することがありますね。
各教室の授業発表があります。
学校の玄関は、色とりどりの花が植えられています。
玄関前の掲示は、学校の方針を訴えかけています。
「私たちの学校は、このような取り組みをしています」


私が学校参観で興味があるのは、その学校の子どもたちです。
だから、すぐに教室や研究会場には向かいません。
廊下で出会う子どもたちに挨拶をしたり、学校の様子を聞いたりします。
運動場に足を運び、子どもたちの遊びの様子をながめます。
遊んでいる子どもの気が教室に入るとどうなるのか興味あるところです。


次に、学習園を見学します。
研究会前に整備されたのでしょう。
新しい苗が植えられています。
春に植えた植物はどうしたのでしょうか。
今頃まで咲いているはずなのに。
命の教育の源ですね。


学校の教育目標が玄関や校長室の前に掲示されています。
私は、その言葉と子どもを対比させて、目の前の子どもたちを見ます。
「こんにちは」と廊下ですれ違う子どもたちに声をかけます。
すると、その反応で子どもたちの成長がわかります。
子どもたちと立ち話をすることもあります。


その後で、各教室をまわります。
授業前の子どもたちの様子です。
廊下から気配を感じるだけでいいのです。
次時の学習の用意ができている教室とそうでない教室。
なかには、次の学習に向けて全体の子どもの気が整っている教室があります。
子供たちの気は廊下を通っているだけでわかります。
その結果、私は、参観する教室を選択します。(複数)


授業を参観するのは、一番あとでいいです。
どんなに素晴らしい目標を掲げていても、どんなに素晴らしい研究実践を発表されても、廊下や教室の子どもたちに声をかければ子どもの実態はわかります。
子供の成長は、落ち着いて歩く子どもの姿のなかにあります

×

非ログインユーザーとして返信する