教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 870回 言葉かけ指導に効果なし

言葉だけの教育とは、口先だけで「こうしなさい」「わかりましたか」という言うだけの教育。


先生は、「どのような言葉かけが必要ですか」「どのように言葉かけしたら子どもは変わりますか」と言われます。
かつて、一日、私の学級を参観された先生と放課後に話した時です。
先生方の質問のほとんどが、私が子どもたちにかけた言葉をメモされていました。
そして、結論として「このような言葉かけが必要なのですね。」と言われました。
私は、心のなかでがっかりしました。


本当に言葉かけが大切なのでしょうか。
指導方法のひとつにすぎないのではないでしょうか


授業中に自分の考えが言えない子どもがいます
先生は、
「もっと自信をもって発表しなさい。」
「あなたの考えをみんなに聞いてもらいなさい」
「先生は、あなたの考えをききたいですね」
しかし、子どもたちを発表できるようにするための方法はこれだけではないです。


ノートに書かせて自分の考えをまとめさせます。
そのあとに、発表しづらい子どものノートを読みます。
そして、素晴らしいところに線を入れます。
「この考えはおもしろいですね。」とだけ言います。
発表しなさいとは言いません。


個人の考えをまとめたあとの全体学習。
いろいろな子どもの考えが発表されます。
話題が個別に見た子どもの内容に関係したとき、その子を指名して発表を促します。
子どもは、前もって先生によって自分が書いた内容を認められています。
だから、指名を受けて発表することができます。



授業中、子どもが隣りの子に話しかけていることがあります
先生は注意します。
「何をしているの、今は先生の話を聞きなさい」
「おしゃべりはだめですよ。他のみんなはちゃんと聞いているでしょ」


先生がよそ見したりおしゃべりしたりしている子を見つけたとします。
授業の内容についていけないのかもしれません。
学習内容に興味関心がないのかもしれません。
その時に
「○○くん、ちょっとたずねてもいいかな」と声をかけて学習内容の整理ができるように質問します。
理解していないことを、先生がやさしく付け加えます。
その子どもの学習の底上げをします。
否定的な言葉を使いません。


言葉をかける時、気になる行動にブレーキをかけます。
しかし、行動を制御するだけです。
なぜ、子どものマイナス行動の背景、原因を考えたうえでの指導を考えることが大切です。


私の勉強会においても、先生は「言葉かけが大切ですね」と言われます。
違うのです。
言葉を発するところの先生の在り方、姿勢が問うことです
先生の言葉は、目の前の個別の子どもに対する愛情から生まれます。
「どうしたら意欲を持たせられるか」「どうしたら明るくなるか」などの気持ちが根底にあります。


言葉かけの言葉だけを持って帰られるのは、植物の根を無視して枝葉だけを持ち帰ることです。
花瓶にさしてもやがて枯れます。


生徒指導部会などでは、「このように話して指導しました」と言われます。
終始、言葉かけの問題で終わっています。
「こうしなさい」「わかりましたか」という言葉で子どもに変化が見られなかったら、子どもが悪い、子どもの質の問題に置き換えられることがあります。
指導者が自分の指導を反省するのではなく、相手の子供のせいにします。
その子の実態把握から言葉の指導が生まれます。
子供の事実に疑問をもち、その行動の原因を推察することが、子どもに対する先生の愛情ですね。

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