教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 881回 授業方法に変化がおきた1950年代

子どもたちの学力の向上をめざした教育団体は増えてきました。
国語の世界では、生活綴り方の見直しが行われました。
以後、「日本綴り方の会」「日本作文の会」と名前が変わりました。
作文を通して、社会や自分を見る目を養うことをねらいとしました。


理科では、1963年に科学史の専門家である板倉聖宣(いたくらきよのぶ)先生の「仮説実験授業」を提唱されました。
私の若い頃、理科教師をめざしていた私は、各地の研究会に足を運び板倉先生にも出会いました。
子どもたちに仮説、討論を通して科学概念を形成することを目的としました。
若い方にはお勧めです。


私は、一時、夢中になりました。
当時は、先輩の先生から教科書以外の授業をしてはいけないとおしかりを受けたものです。
ところが、今の教科書では、仮説実験の授業書の内容が部分的に取り入れられています。


算数の水道方式
遠山啓(とおやまひらく)先生の授業方式は多くの先生方に取り入れられました。
私も計算を理解させる時に活用していました。
算数を集合数でとらえることを提唱されました。
当時、文科省は取り入れなかったので「水道方式」という名前でプリントを作成されました。


その他、追試を通して授業力のスキルをアップさせようとされた向山洋一先生。
若い先生の間で全国的に広がりました。
私も講師として招かれたことがありますが、今一、なじめなかったです。
先輩の先生の指導案をその通り実践する試みが主流でした。
私は、原点から指導案を作り上げたいと思う人間でしたので、距離をおいていました。


当時、大学の先生が提唱された授業理論が多くありました。
私が直接学ばせていただいた授業理論は以下のものです。
学び方学習 主体的学習 小集団学習 自主協同学習(私の師の理論)
遠井義男先生の教育 斎藤喜博の授業理論と実践

それぞれの理論実践校があり、地方まで研究会に出かけました。
それらにすべて共通して感じたことは、「学校の魂とは授業である」という一貫した実践でした。

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