教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想877回 授業参観 私の視点(6) 授業の始まりと終わり

授業が本当に子どもたちにとって意味のあるものになったかどうかは、子どもたちの表情に表れています。
さらに、参観者にも心地よい感動をあたえています。(余韻)

授業の最初から最後まで重たい空気に包まれて学習が進んでいることがあります。
いわゆる、平板な授業です。
教えて理解させるだけの盛り上がりのない授業です。


授業開始前、少しばかり緊張して重たい空気が流れています。
ところが、授業が進行していくにつれて変化が表れます。
子どもたちの顔が上がります。
表情に明るさが表れます。
子どもたちの発言の声に張りがでてきます。


子どもと先生の間で、教材を媒体としてお互いが交流します。
子どもは教材に反応し、先生の助言でワンステップします。
教室全体に躍動感が出てきます。


もう少し具体的に言います。
子どもたちの思考(話し合い)が停滞している時、先生の助言で大きく
展開する時。(思考のきっかけづくり)


子どもたちの考えが広がりすぎて焦点がぼやけている時に、先生が子どもたちの考えを整理する時。(学習課題の焦点化)


子ども同士の話し合いで、対立状況が生まれた時。(対立構造ができる)


子ども同士の話し合いのなかで、自然に笑いが起こった時。(気分転換)


結果として、授業終了時の子どもの顔が上向きになり明るくなります。
さらに、チャイムが鳴っても、子どもたちの話し合いが続くことがあります。
さらに、終了後に先生のそばに駆け寄る子どもが現れます。
質問したり、次の授業への提案、期待を先生に伝えます。
授業は生き物です。だから面白いのです。

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