教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 875回 授業参観 私の視点(4) 子どもたちの発表

研究会に行くと、子どもたちは、普段から発表の訓練を受けている様子がわかります。
地方に出かけても、その発言の仕方はさまざまです。
先生方はいろいろ工夫されています。


挙手発言
多くの学級に見られる子どもたちの姿です。
発言の時にたって発表するクラスもあります。(椅子を引く音が気にならないのか)


挙手する子どもたちの手先を見てください。
そこには、子どもたちの感情が表れています。
自信あるぞ 早く指名してよ みんなが手を挙げるから仕方なしに
挙手したけど指名してほしくないなあ・・・


さて、授業者はだれを指名するでしょうか。
自信のある子を指名して学習を進めるか。
それとも自信のない子を指名して進めるか。
さらに、挙手していない子を指名して学習を進めるか。


研究会の授業では、先生の親衛隊が活躍しがちです。
授業者もできるだけ滞らないように発言できる子を選びます。
授業者が親衛隊の子どもによって進行すると、発言の少ない子どもは前にでにくくなります。


指名発言
子どもたちが次の発言者を指名する方法です。
指名する時の規準がわかりにくいことが多いです。
指導者が問いを出してから指名するか。
指導者が指名してから問いをだすか。
誰もが発表できる問いの時に勉強の苦手な子どもに指名するか。
問いをだして少し間を取って指名するか。
そこには、指導者の子どもに対する教育観が表れています。




座ったまま自由に発言
指名よりも子どもたちの発言が多いです。
よほど子どもたちを訓練しておかないと、発言者に偏りが生じます。
参観者には、一見、子どもたちが自主的、意欲的に見えますが・・・。
自由に話しあわせているとき、指導者はどこで介入するかです。
発言が偏ってきたときか。
問題になっていることを整理するときか。
話し合いで課題が深まっているかを指導者が見極めているか。



お互いの発言を意識しあった授業
話し手と聞き手がお互いに身体を向けたり視線を向けたりしています。
自然にそれが行われています。(あくまで自然に)


発言の仕方はいろいろあっていいと思いますが、問題は、その結果、
学習が全体として深まっているかどうかです。
参加者は、今、どんな課題を深めたり広げたりしているかを把握します。
さもないと、発言内容が拡散されるだけの授業になります。
決して、子どもの発言の見栄えにとらわれないようにします。

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