教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 873回 授業参観 私の視点(2) 休憩時間の机の上

今、参観する立場で授業を見ていますが、同時に自分の授業技術を磨く場でもあります。
人のふり見てわがふりを見直すためです。
決して、授業参観のあらさがしではありません。
あらさがしは、自分の技術向上には役立ちません。
あらをさがすのは、多分に感情的なものを含んでいるからです。


学習と学習の間には必ず休憩の時間があります。
その間に子どもたちは、先生の指示で次時の学習の用意をしてから遊びに行きます。
参観授業の時は、たいてい、先生の指示が行き届いて教科書とノート、筆箱が片隅にそろえてあります。
普段からそうでない場合は、その準備の様子で次の学習への意欲がわかります。


さて、実際の授業参観に目を移します。
机の上は丁寧に学習用具が置かれています。
ところが、時々、子どもによっては、準備の仕方が異なることがあります。


教科書とノートが本時の学習に向けてヘージを開けています。
どこを学習するのかを理解している準備です。
準備とは、次の学習に即取りかかれるようにすることです。
このことを授業者は最初に知っておくべきです。
この子を授業のなかでほめるようにします。(簡単に、大げさはダメ)


もう一つ、おもしろいことがあります。
多くの子どもは、筆箱をだしていますが、ある子どもだけは、鉛筆と
ケシゴムのみを出しているだけです。
筆箱は机の中にしまっています。
そうですね、次時の勉強に必要なものだけをだしています。
そうすることで、狭い机の上が少しでも広くなるからです。


私は、筆箱を机の上にはおかせませんでした。
今日の勉強に必要なものを考えて取り出しておくようにさせました。
机上の用具を見て、子ども一人ひとりの次時の準備の心構えを理解しました。


準備の目的は何か。
準備をどこまでするのか。
この二点を子どもたちと一緒に考えます。
考えさせて、理解させて準備させるようにします。


休憩時に子どもたちの次時の構えを机上に見い出します。
子どもたちの小さな事実が授業者の技能を高めます。
まだまだ机上の事実はあると思いますが・・・。

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