教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 872回 授業参観 私の視点(1)足と指の動きに注目


子どもの集中の度合いは、次のようなところで判断します。
よそ見していないかどうか。
姿勢がよいかどうか。
しかし、それらは、子どもが意識して頑張っているふりをするために、意識的にできる動きです。


子どもの姿は、小さなところに表れます。
一番目は足の動きです。
特学年ほど、足の動きに注意します。
足を床につけずにぶらぶらさせている子
授業中、子どもの上半身は動かず前を向いているにも関わらず、机の下の足はたえず動いている子ども。
学習の輪のなかから遠ざかっています。


ところが、先生の話が子どもの関心のあることになると、ぴたっと足が止まることがあります。
全体的につまらない授業になると、ほとんどの子の足が動いています。
低学年で時々両手をうしろに組ませて、先生の話を聞かせていることがあります。
一見真面目そうに見えますが、足の動きは乱れているので子どもの実態がすぐにわかります。


次に、手の指の動きです。
筆記用具を持っている時ではありません。
先生や友達の話を聞いている時の指のうごきです。
子供の指いじりはすぐにわかります。
しっかり聞けている子は、指が閉じています。
子どもが学習に夢中している時は、手は握りしめています。
気もちが指に表れている時です。


子どもの緊張感は、身体の末端に表れます。
それは、自分の気持ちを表面化させないためのしぐさです。
体育の場面では、手足の震えとなって表れることがありますね。


授業中、子どもが一人で考えている時、理解して取り組んでいる子は足の動きは止まっています。
そうでない子は逆ですね。


今、お話したことは、絶対的なものではなく、その傾向があるということです。
それよりも私が伝えたいのは、子どもは、先生から見えづらい動きのなかに、自分の気もちを表していることです。。
それを見い出せるかどうかが指導者の力です。

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