教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 879回  「ゆとり教育」の弊害は 今なお続く

1977年に「詰め込み教育」が批判され、勉強すべき量を減らせば
「落ちこぼれ」や「登校拒否」が解消されるだろうと言われました。
2002年まで指導要領が改訂されるたびに、学習内容と授業時間は減り続けました。


このゆとり教育の導入は、儒儀容の根本部分が壊されました。
私は、ゆとり教育の導入されるときに研修係をしていました。
その時に、教育委員会が学校を回って同に優の意図を説明に来ました。


新学力観の提唱です。
知識を増やし理解を深める力を「古い学力」としました。
それに対して、「意欲・態度・関心」を育てることが新しい学力につながると考えたのが「新学力観」でした。


これにより高校では内申書重視に移行しました。
特に、計算練習のような古い学力観に基づく授業が減りました。
計算力、かけ算の九九をはじめとして、反復して習得することが大切なものさえ否定されがちでした。


さらに、1998年に学習内容が3割削減されました。
この時の内容はひどいものでした。
算数や理科において、体系的に学習できなくなりました
だからこそ、私は、ゆとりの時間を利用して、削減された内容を補足するように学校に提案しました。。


文部科学省の有名な先生が「今度の改訂で全員が百点をとれるようになる」と豪語されたのを覚えています。
できる子どもをある意味では虫しています。
ところが当時、勉強がついていけない子どもがさらに増えていました。


私は、この改革は、今までの先生方の授業を否定するものだと考えました。
子どもの意欲関心に任せて、先生が支援者の位置にたつものでした。
その結果、授業は平板なものになりました。
先生は、どう支援したらよいのか迷っていました。
新学力観が学力低下を導いた原因はどこにあったのでしょうか。
次回に続く。

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