教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想876回 授業参観 私の視点(5)発表時の先生と子どもの視線

先生の様子を観察します。
子どもたちは、活発に発言しています。
授業者は、その発言を聞いてうなずいています。
自分の予想した意見がでるとにんまりです。
そうでないと「そうなの」と簡単に受けます。
なかには、ほとんど反応しない指導者もいます。
ちなみに、私は、すべての子どもの発言に反応しないことが多かったです。
そのことは、またの機会にお話します。


先生が子どもの発言を聞いている時、目はどこを向いているかです。
話し手の子どもだけを見ているのでしょうか。
それとも、話し手の子どもを見ながら、聞き手の子どもにも視線が向いているでしょうか。
子どもの発言が周りの子どもにどのように浸透しているのかをみているでしょうか。


子どもたちが発言するとき、ノートに書いてあるものを読み上げていることがあります。
これは、単にノートの内容を発表しているだけです。
考えながらの発言ではありません。
ノートはメモです。
メモをもとにして自分の考えを言えることが大切です。
できる限りノートを見ないで発言できるようにします。


ノートに書いてから発表させるとき、ノートをとじてから言わせると自分の新たな考えが付け加えられます。


もう一つ気になることがあります。
発言した子ども、特に、子ども同士で話し合っている時です。
子どもが発言したあとどこをみているのでしょうか。
話し手は、自分の考えを聞き手にわかってもらいたいと思っているなら、まず、聞き手の反応を確かめるはずです。
ところが、子どもの視線は先生に向かっていることがあります。
先生の反応を気にしているのです。


参観前に子どもたちに「しっかり発表しなさい。発表を見てもらいなさい」と指示されている場合、子どもたちは委縮します。
先生に対して発表できたかの評価を求めています。
もちろん、このことは一部ではあります。
ただ、子どもたちがふだんから先生に対して、どんな感情をもっているかどうかは察知できそうです。


たまたま見かけてしまったことですが、授業参観のあと、参観者が退出したあと、子どもたちを叱っている先生がいました。
「どうして、もっと発表しなかったの?」
「先生があれだけ頑張るように言ったでしょ」
退出して廊下を通る時に聞いてしまいました。


授業参観はお祭りでしょうか。
だれのための授業参観でしょうか。
先生の晴れの舞台ではありません。
どこまでも子どもたちを育てるための授業参観です。
先生の指導技術を磨くためのものです。
子どもを責めているようでは・・・?

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