教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 107回    教室から物がなくなるとこの意味

6月になると、子どもの持ち物がなくなることがあります。
今まで、何もなかった教室に、「先生、机の上においてあったケシゴムがないです」「鉛筆がありません」という子どもからの訴えがでてきます。


ケシゴムや鉛筆ぐらいなら、持ち主が落としたか、どこかで置き忘れたのかも知れないと考えるのですが、「筆箱がない」「笛がない」となると、学級のピンチです。


誰かが誰かのものを盗む、隠すというのは、妬みか恨みです。
隠した子どもが面と向かって言えない時に、相手の持ち物を隠すことで自己表現するときがあります。


隠す、盗むという行為は肯定できませんが、教室内で起こるものは、学級の人間関係、空気に関係しています。
6月になると、子どもたちの言葉が乱雑になったり、個人攻撃が頻繁になったりしてくると、誰かの持ち物がなくなったという事件が出てくるようです。


かつては、これに似たようなことは、「落書き」でした。
今は、スマホのメールです。


先生に対する恨みは、教卓や引き出しに表れます。
先生の文房具がこわされていたり、そこまでいかなくても、乱雑になっていたりします。
机の引き出しの中身がかき回されているということも出てきます。


学級において、気楽に言い合える空気があると、けんかや口論も出てきますが、言い合えない学級では、それぞれの子どもたちの思いが自分のなかに閉じこめられてしまいます。
それが物を隠す、盗むという行為に表れます。
このとき、先生は、学級の危機の始まりですから、子どもたちの関係を見直さなければなりません。
危機は必ず目に見える形になって表れます。

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