理科の学習がいい加減に行われているのは、今に始まったことではありません。 いい加減とは少し言いすぎましたが、本当に科学の基礎としての理科学習から離れているように感じています。 テストに出るから覚えておきなさいという指示も多いようです。 教科学習は、その教科の本質、特性を理解しておかなければなりません。 理科が知識優先の学習になっています。 実験・観察は、はじめに答えありきの学習になっています。 …
指導案をつくるのは、授業が計画どおり進むことが目的ではありません。 授業が計画どおりいかないことを確認するためのものです。 そんなバカなと思われるかもしれませんね。 機械部品や大型機械は、設計図があって、計画された通りにつくっていかなければなりません。少しの間違いも許されません。ものづくりとは、そういうものです。 しかし、人間相手の仕事はそうではありません 人間そのもの、子どもたちその…
新学期、子どもたちは、休憩時間になると運動場で元気な声をあげながら遊んでいます。 先生は、つい、子どもたちの遊びの中に入りたくなることがあります。 しかし、子どもたちがドッチボールや鬼ごっこをしている中に、先生がいきなり入るのは、子どもたちにとってあまり嬉しくないのです。 もちろん、喜んでいる子どもたちもいますが、内心はわかりません。 子どもたちは、先生に気を使ってしまうからです。 子どもたち…
授業するとき、先生が教室のどこに立っているか、座っているかということは、私にとっては、授業を進行する上できわめて重要な要素でした。 ふつうは、先生は教室の前面中央に立って話します。子どもたちからすると先生が中央に立つ方が見やすいでしょう。 しかし、この中央に先生が立つときは、先生が中心であるということをアピールするときには有効です。 さらに、中央の黒板寄りか、黒板から離れて子どもたちに近づいてい…
ゴールデンウィークが始まりました。 この休日は、先生にとってほっとする期間でもあります。4月は、子どもたちとの出会い、新学期の事務処理等で忙しかったことと思います。 子どもたちにとっても慣れない学校生活で緊張の連続でした。 家庭訪問も終わり、家庭での子どもたちの様子や保護者の子どもに対する願い、学校に対する要望もわかってきたのではないでしょうか。 記録として整理します。特に、4月の間に先…
「今日の反省」 一日の反省はむずかしいです。 子どもたちを観察していると。形式的な反省が多いです。 マイナスの反省が多すぎるようです。 反省とは、物事を振り返り、次に乗り越えるための具体策をもつことです。 たとえば、「教室の掃除がおそくなりました」という反省があると「今度からは気を付けます」という言葉で終わります。 掃除が遅くなった原因は何かを考えなくてはいけません。 したがって、反省とは、原因…
自分たちの生活は、自分たちの手で管理させるというねらいのもとに実施していきます。 その中に「今日の予定」「今日の見通し」(高学年)というコーナーを置きます。 先生の連絡の中にあった今日の活動予定を子どもたちの手に少しずつ、一年間をかけて移行していきます。 登校して下校するまで(朝の会)、そして、明日の見通し(帰りの会)までを見通していきます。あくまで少しずつでいいです。一年間をかけて、子どもを育…
朝の会は、子どもたちのくらしが充実していくなかで、その内容も充実させます。 最初は、連絡だけでいいです。それ以外の内容がなくても全く困りません。 4月は、帰りの会は、できるだけ短くします(子供たちは早く帰りたいからです) 「明日の予定」「先生からの連絡」「さようならの挨拶」のみにしておきます。五月以降、子どもたちが学級に親しみと関心を持ち始めてきたら、内容を少しずつ増やしていきます。 朝の会、…
朝の会は「あいさつ」と「連絡」のみ 最初から朝の会・帰りの会は短くします。 私は、どの学年においても、新しい出会いの子供たちとは、「あいさつ」と「先生からのお知らせ(先生の話)」だけから始めます。 「先生からの話」も連絡だけですから、小黒板に書いておきます。 だから省略することもあります。 連絡はまず、目から入れます。 しかし、それだけではわかりにくいのであれば、子どもたちから質問させるようにし…
目的は何か どの学級にも朝の会、終わりの会(帰りの会)があります。 会はなくても生活できるのではないかと先生自身が問い直します。 問題は、何のために朝や帰りの会を設けるのかです。 ほとんどの場合、指導のねらいがありません。 惰性的に行われていないでしょうか。 前学年からの習慣として行われています。 先生からの連絡の場として使われることも多いです。 朝の会や帰りの会、はじめの会や終わりの会などが学…