教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 52回 科学から遠ざかる 理科学習

理科の学習がいい加減に行われているのは、今に始まったことではありません。
いい加減とは少し言いすぎましたが、本当に科学の基礎としての理科学習から離れているように感じています。
テストに出るから覚えておきなさいという指示も多いようです。


教科学習は、その教科の本質、特性を理解しておかなければなりません。
理科が知識優先の学習になっています。
実験・観察は、はじめに答えありきの学習になっています。
実験は確かめるための実験になっています。教科書と結果が違うと「本当は、教科書のような結果になるんだよ」と、先生の一言で終了しています。


科学的思考というのは、自分の経験や知識を総動員して、未知なるものに問いかけて、より正確かな知識を求める思考です。
それによって得られた科学的知識は、誰もが納得して誰もか検証できる知識です。そのような知識を手に入れようとする思考です。


「なぜ」「不思議だ」という問いかけから始まります。
子どもの問いかけがないのに、教科書の課題を提示します。
子どもにとっては、興味関心のない問いかけになることが多いです。



最初、子どもたちがその事象に出合って感動し、今までの経験や知識と違うと思うときに、問いかけ(ひっかかり)が始まります。
そのためには、授業の最初において、そのものを眺める視点を持たせるようにします。


「冬の生き物」「ころごろ寒いねえ。みんなの服も厚着になってきたね。暖房を入れている家があるのではないかな」と話します。そして、視点を窓の外の生き物に移します。
「植物は、大丈夫かな。テントウムシ、この寒さで大丈夫かな」というような話をします。
そして、黒板に「生き物=冬=死」という言葉を書きます。
そこから子どもたちの問いかけを引き出します。
子ども自身が問いかけられるような、問いかけたくなるような状況にしていくことが大切です。
そして、観察は、どこまでも子ども独自の発見です。
「ぼくは見つけた」「わたしだけの発見」というタイトルをつけて、自然と対峙させます。
そこには、観察対象をみる位置、角度を変えるさせるように指示します。
植物は、見る角度によって違ったものに見えます。


多くの問いかけ(疑問)を出す練習をします。いくつ出せるかを競わせます。
問い(課題)ができます。
学習としては、多く出された問いの中で、中心になるものを先生の助言のもとに決定させます。
一学期のうちは、先生の決定権を強くしますが二学期から少しずつ子どもたちに決定権を譲っていきます。ただし、子どもの実態にあわせてください。無理をしないようにします。


次に、課題をもとにして考えをめぐらす活動が始まります 
予想です。これは直感であったり見通し、論理的であったりします。
予想とは、どのようにだせばよいかを指導します。
当てずっぽう的なものも入ります。
・たぶん、こうだろう。
・おそらくこうなるにちがいない。
・こうではないかな
・何となくこうなるような気がする。
・きっとこうかもしれない。
この言葉を掲示して常時活用します。


はっきりとした予想はできないが、そこには何かがあるに違いないという思いがあります。一歩、自分を進めることが重要なのです。


ここで注意したいのは、予想がきちんとした理屈になっていないということで排除しないでください。なんとなくそう思うからと問いかけただけでも、それなりの正しい知識を得ることだってあります。
この予想の段階は、子どもたち一人一人の多様性を容認します。ですから、「なんとなく」もしっかりと認めていきます。


 さらに、予想を次の段階に進めます。
・たとえば、こういうことではないかな。
・もしもこうならば、このようになるはずだ。
・前にこういうことがあったから(見た・体験)
こうなるだろう。 などなど。
 理屈や理由の芽生えが見られるようになります


やがて、予想から仮説の段階になりますが、これは高学年での指導になるでしょう。すでに発見された法則などをもとにして、推理していく段階が仮説です。


そして、実験です。
これは、予想や仮説にもとづいているので、予想実験になります。
自分の知識を総動員して予想して実験に入ります。教科書の答えを確かめるためのものではありません。少なくとも子どもたちの予想の確かめなのですね。


 実験がおもしろいのは、実験が示す事実が厳正なもので、これに対して、すべての子どもたちは認めるしかありません。
実験の準備が不足している場合、結果が思うように出なかったら、先生は「教科書に書いてある結果と違うね。本当はそうなるから教科書の通り覚えておきなさい」とい指導されることがあります。
私は、このことは、実験を軽視した学習指導だと思っています。


私は、実験の準備を大切にし、予備実験を何度も行うようにしました。
すると、それだけで実験に夢中になり、いろいろな事実が見えてくるものです。


実験が示した事実を考察します。
予想した事実、教科書の事実と異なる理由を考えるようにします。
さらに、どんなことがわかり、どんなことがまだわからないのかを考えます。
 そこから新たな問いかけが始まります。
  探究の理科ですね。
   理科は、決して完結しないものです。


このような科学的思考は、人生の中で必要な考え方ですね。
子どもたちに身につけさせたいものです。

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