教育随想 50回 子どもたちとは 誘われるまで遊ばない
新学期、子どもたちは、休憩時間になると運動場で元気な声をあげながら遊んでいます。
先生は、つい、子どもたちの遊びの中に入りたくなることがあります。
しかし、子どもたちがドッチボールや鬼ごっこをしている中に、先生がいきなり入るのは、子どもたちにとってあまり嬉しくないのです。
もちろん、喜んでいる子どもたちもいますが、内心はわかりません。
子どもたちは、先生に気を使ってしまうからです。
子どもたちは、表向きは、先生が近づくと「先生、一緒にやろうよ」という声をかけてくれますが、これは、あくまで子どもたちの社交辞令です。
先生が子どもたちの遊びの輪に入ると、子どもたちの遊びのルールが壊れてしまいます。特に、主導権を握っている男の子たちにとっては、あまり嬉しくありません。彼らは、遊びを取り仕切ることで生き甲斐を感じています。
そこに、先生が入るとやりにくくなります。
中には、先生が、遊んでいるときに指図などをすると、おもしろくありません。
先生は、遊びの中においても指導しようという魂胆が見え隠れします。
遊びは子どもワールドです。
遊びの世界に大人、特に、先生が入ると、子どもワールドを壊してしまうことがあります。
子どもが教室や職員室にいる先生を誘いにくるまで、遊びの輪の中にはいらないようにします。
子どもは、先生に親しみを感じてくると自然に先生を誘うようになります。
子どもたちが先生を仲間として認めてくれることが大切です。
その時に、先生が「今、忙しいので」という言葉を発すると、その後の誘いがなくなることがあります。
私は、子どもたちが遊ぼうと声をかけてくるまで、自分から向かうことはありませんでした。子どもワールドに誘われるということは、子どもたちにとって先生が認められた証なのです。
そして、遊びの中に入っても、すべて子ども任せにします。
指図しないようにします。先生であることを捨てます。
私は、子どもと一緒に遊ぶ、遊んであげるのではなく、「私が子どもたちに遊んでもらう」という立場をとっていました。
自分が楽しいから、遊びたいから遊ぶ。
だから、子どもたちの輪の中に入ったら、子どもたち以上にはしゃいでしまいます。本気になって遊びます。周りの子どもたちも驚くぐらい遊びほうけます。
授業の時の先生と遊びの中の先生は全く違う姿です。
このギャップが子どもたちを引きつけます。
遊ぶ先生は、子どもたちの仲間として生きます。
授業者としての先生は、導く人として生きることになります。