教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 49回 授業における先生の 立つ位置は


授業するとき、先生が教室のどこに立っているか、座っているかということは、私にとっては、授業を進行する上できわめて重要な要素でした。


ふつうは、先生は教室の前面中央に立って話します。子どもたちからすると先生が中央に立つ方が見やすいでしょう。


しかし、この中央に先生が立つときは、先生が中心であるということをアピールするときには有効です。
さらに、中央の黒板寄りか、黒板から離れて子どもたちに近づいているかによって、子どもたちの先生に対する印象は違ってきます。


舞台俳優が舞台を効果的に活用するとき、舞台のぎりぎり前にでるほど、俳優は大きくみえます。後ろに下がるほど小さく見えます。
これは、役者の存在感を客席に向かってアピールするときに使われるそうです。当たり前のことのようですが、教室では使われていません。


私は、子どもたちに強くアピールするとき、たとえば、注意を促したり、懇願したりするときは前面中央の子ども寄りに立ちます。
授業においては、課題を提示したり、説明したりするときに使います。


子どもたちが一人学習に入っているとき、教室の四方の隅に立ちます。
この位置は、視野の角度が小さくなります。
中央にたつとき、左右の子どもを目の中にいれるためには、広角の視野が必要ですが、隅に立つ場合は、その角度が小さくてすみます。
眼球を動かすことなく子どもたちを視野の中に入れることができます。
さらに、隅にいることで、今は先生が中心ではなく、子どもたちが中心であることを暗に伝えることになります。


子どもたちの話し合い学習が始まると、私は、この四隅のどこか、できるだけ子どもたちの視野の中にはいりにくい場所に座って子どもたちの話し合いを聞いています。
これは、かなり効果あります。
子どもたちが話し合っているときに先生が前に立っていると、子どもたちは話し合い、発言のたびに先生の顔をちらちら見ながら話し合いを続けることになります。


子どもたちが話し合っているときは、先生の顔は無表情になります。
いちいち子どもの発言に反応しません。
子どもたちは、先生の表情の中に正解を求めようとするからです。


一年生を担任したとき、一学期だけ、教卓を教室の真ん中におきました。
手のかかる子どもたちを私の周りに座らせて、全体の座席は私の机を中心として円形にしました。これもなかなか有効であったと思います。
もちろん、二学期は、もとの座席に戻します。


教卓も前の片隅に設置します。
子どもたちの自主性が高まると後ろの隅にしたことがあります。
ただ、後ろにすると子どもたちの表情が視野に入らないという問題があります。


私は子どもたちに学習の進行を任せるときは、教卓に座って見守るだけです。
この時の私は、助言のみです。どこまでも子どもたちに任せてみます。


教室の立つ位置、教卓の位置だけでも、子どもたちへのアピールは全く違ってくるものです。子どもたちの視野の中に先生という姿、存在がどのくらいの位置をしめているかを考えながら授業を構成していきます。


取るに足らないことでずが、子どもたちに授業を任せていくときに、大切な要素でした。

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