教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 330回 コロナ生活 自学自習からステップアップ

全国的に学校が再開されます。
すでに始まっている学校もありますが、この2,3か月の期間、子どもたちの生活は一変しています。
平常どおり4月に始まる新学期とは違います。


子どもたちは、一人で生活、勉強することに飽きています。
退屈ですることがないという子どももいるようです。
しかし、ほとんどの子どもは、学校から配布された宿題(主にプリント)をこなしていました。


今、学校が再開されるにあたって、チャンスになることがあります。
子どもたちは長い間の一人の生活から、友達とともに生活、学ぶことを求めています。やはり、友達と何かをすることが楽しいものだと思えるようなに学校生活を始めたいものですね。


学習活動でいえば、集団学習です。
独りで勉強するのもいいが、友達と知恵を寄せ合って学ぶともっと楽しいということを再確認させる絶好の機会です。
意識的に、ペアや班学習を少しずつ取り入れます。
長くなりすぎるのはいけません。
子どもたちの親密度はまだ低いからです。
一時間の授業においては、10分程度です。
長すぎると、集団で学ぶことで学びが停滞することが考えられます。


ある先生の学校では、算数で最初から2単元分を自学自習するようにという課題を与えられました。
ところが、独りで学ぶことが難しい子どもがいるのでどうしたものかという質問でした。
あるいは、すでに子どもたちが自分で学習している場合、もう一度、単元の学習を追いかけるとき、その指導のポイントは何かということでした。


さて、問題なのは、子どもたちが独りでわかって進めるのが自学自習だと考えられていることです。
もし、独りでわかるなら、学校は再開される必要がありません。
放送授業のみで十分です。


自学自習は予習です。
学びの原点です。
自分が教科書を独りで読み問題を解く時、何がわからないのかを見つけることが大切です。
自宅で算数に取り組んで、わからないことが多かった子どもは、少し落ち込んでいるかもしれません。
子どもたちと再開した時に「わからなかったのね」ではいけません。子どもにとって、自分がわからなかったことに対する自信のなさを助長することになります。
子どもたちの多くは、勉強はわかるものだという先入観を持っています。まず、その意識を変えます。


「みんなは、家で算数を勉強してみてどうだったかな。感想をだしてごらん」・・・子どもの反応
「そうなんだ、わからないことがあったのですね。たくさん、あった人もいるようですね」
「たくさん、あった人はすばらしいですね。学びの最初、自学自習は、わからないところがどこかを見つけることなんだよ」
「みんなのわからなさを友達と頭を寄せ合って考えていくところ学校ですね。」


単元の最初の1時間の授業を考えてみましょう。
「みんなが独りで勉強したところで、わからないことをまず出し合いましょう。」・・・黒板に要点を書く。
「ところで、わからないことがわかっているのがすばらしいですね。それでは、もう少し、ステップしますね。わからないことをみつけたなら、どこまでならわかるのかを考えてみてごらん」


わかるとわからないの境界線を見つけます。
独りで難しいところは、みんなで取り上げます。
このようにして、わからないところをだしあって、それに、わからなさの順位をつけます。わからない人が多いという順位です。
それに加えて、先生の教材の重要性を考えた順位も加味します。


さて、わからないところをいきなり全体で扱いません。
子ども同士で教えあいを試みます。
簡単な疑問はわかるようになります。
友達の良さを感じるようにします。


そして、あとで残った問題、核になる問題を全体学習の真ん中にもってきます。
このようにして、友達と一緒に学びあう学校の良さを再確認させます。
コロナは、友達と生活する、学習すると楽しいと再確認させる素晴らしい機会にしたいものです。
ちなみに、高学年なら、これを機会に予習、復習という勉強の仕方に切り替えます。

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