教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 313回 自学自習 教えて離す 離して教える

4月は、どの子も能力、意欲に関係なく、参加なくできるような授業の流れを計画します。しかし、この授業の流れが一年間変わらなかったらどうでしようか。
授業の目指すものは、自学自習への道です。
滑走路を走る飛行機が速度を上げて、やがて離陸するように、子どもたちの学びも先生から離陸するようにしたいものです。
授業をするとき、教えたらどう離すかということが頭にありました。


4月は、子どもたちを教材に引き付けて(興味関心)いきますが、やがて、子ども自身の問いかけによって、教材の入り口を発見し、学びの道筋を発見、構築できるようにしなければなりません。
そうでないと、大人がついているときだけ勉強するが、いなくなると勉強しない子どもになってしまいます。指導者は、親がそうであるように、子どもを離陸させるための道筋、学び方を育てていくことが大切です。


「引き付けて離す」(教えて独力で)
たとえば、漢字学習です。
どこでもなされる指導です。
先生がていねいに読み方や筆順を教え、さらに、ドリルなどを通して練習させることが多いのではないかと思います。
子どもが漢字を前にして自分なりのアプローチをかけて学ぶことができるようにします。最初は、ていねいに一字一句指導していたものを、少しずつ自学自習できるようにします。
考えてみてください。
私たち大人が言葉や漢字をどこで学びましたか。
学校で習った漢字よりも自分で新聞や週刊誌、本を読んで得た漢字のほうが圧倒的に多いはずです。これは、すでに漢字や言葉の自学自習が身についているからです。


読めない漢字にであったとき、今まで読める漢字を想起したり、漢字のつくりから意味や読みを探ったりしますね。さらには、国語辞典や漢字辞典を紐解きます。
したがって、子どもたちが新しい漢字に出あったときに、すぐに読み方を教えるのではなく、漢字の構成部品や既習漢字をもとにして漢字の読みを探ります。
この探ることこそ、自学自習の基本です。


実践例としてひとつあげます。
「ぜったいに読めない漢字テスト」です。
新聞や中学、高校で習う漢字から10問だします。
一問10点で100点万点です。
「みなさんは、このテストでは一つの漢字も正解することはありません。だから、0点をとって当たり前なのです。はじめでごらん。」
中学年以上の子どもに実施します。
子どもたちは燃えます。なにしろ0を点とっても合格だからです。 
段階的に、中学校、高校漢字―と進めます。
6年生になると大学入試の漢字に挑戦させます。


これを授業の最初5分間、一週間に一、二回程度実施します。
子どもたちが新しい漢字に直面してもその学年の漢字を、すぐに辞書で調べません。
まず、自分なりに見当をつけるからです。
さらに、高学年なら、4月いっぱい漢字の学習の仕方を教え、あとは、その学年の漢字、一年間分を学習させます。子どもたちは意欲的に実施します。
書けなくても、読めるようにしておきます。

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