教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 331回 授業が教育である時 雰囲気はつくるもの

「教える」「習う、学ぶ」の二極化ではなく、もう一つの三次元的な極が必要です。
食事も、つくる、食べるだけでは、今一つ、おいしさがもりあがりませんね。
食べる時の雰囲気が大切になります。
それと同じように、授業の雰囲気は、底辺に温もりのじゅうたんがしかれ、その上では明るく、時には緊張感のある学びを計画します。
そうはいうものの、「習う、学ぶ」の対人的なものであっても、学ぶことに楽しさ、喜びがでて自然に教える者と学ぶ者の雰囲気がよくなることがあります。
わかること、できることを通して、教える側と教えられる側の間に自然に温かみが生まれます。


授業者は、教えること以上に、場の雰囲気を意識する必要があります。
授業参観をしていると、
これで全員の子どもたちを相手にしているのかというむなしさ。
終了の時刻が近づくにつれて、最初は、頭があがって勉強していた子どもの多くが下を向いているわびしさ。
淡々と教えているだけで、子どもたちの反応にあまり関わることなく進んでいく味気なさ。
わからない子どもがわからないことにサインを送っているにも関わらず、そのままにされるつめたさ。
教室全体に充満している子どもと先生の雰囲気は、廊下を歩いているだけて感じてくるものですね。


授業者はつねにムードメーカーであることです。
いくつかその具体的なことをお話します。


授業において、子供たちの緊張と緩和を交互に入れます。
厳しさと優しさ、教え込みと学び、集団学習と個人学習などを入れ替えながら授業を展開します。


要するに、学習形態を変化させて進行します。
一年生を担任した時は、15分集中したらあとの5分は遊び要素を取り入れます。
まして、一時間、話し合いを続けることは子供を緊張させ疲れさせます。独り勉強を一時間させるとき、たとえば、ノートにまとめるときなどは。途中で雑談タイムを入れます。ただの雑談ではなく、ノートまとめで困っていることやまとめ方のよいアイデア交換などで雑談します。20分ー5分雑談ー20分まとめ など。


授業者の雰囲気づくりについてお話します。
一番気になったことは、先生の服装です。
ジャージ姿が一般的で活動しやすいという長所があります。
そのジャージも一週間同じものを着ないようにしたいものです。たいていの先生は、着替えておられるのですが、中には、ずうっとおなじジャージ、きっと自宅にいる時もおなじではないかと想像してしまいす。


私はこれだけはやめたいと思ったことがあります。
それは、水泳指導のあと、男の先生が短パンで授業することです。
別にいいじゃないかと思われたらしかだがないのですが、短パンで文学作品を指導している姿をみたことがありますが、子供たちは、先生の足を目に入れながら(仕方なく)詩の学習をしているのを見ると興ざめだろうなと感じました。
子供たちは、先生の服装を目に入れて授業を受けます。
私は、授業、教科によって服装やネクタイを変えていました。
あるいは、梅雨時に、1日雨が予想されるときは、できるだけ明るい服装を心がけました。
子供は、先生の姿を映像として見ながら、先生の口から流れてくる言葉を耳にしています。
私の師は、更衣室にジャージ、カッター、ネクタイを三つ以上揃えておられました。私は、そこまではまねができませんでしたが、子供たちを大切にした授業にかける姿勢を肌で感じたものです。

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