教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1125回 先生が子供たちに送るプレゼント

生は一年間、子供たちと関わり育てていくなかにおいて、どのようなプレゼントを用意するのでしょうか。
このプレゼントとは、誕生日のような品物ではありません。


先生は義務教育として子供たちを一年間預かっています。
子供たちの「社会的に不適応なところ」を矯正してあげることが、先生が子供へ送るプレゼントです。


子供たち一人ひとりは社会の一員として大切な存在です。
社会、集団のなかで、しっかりと生きていける子供をめざします。
したがって、どのような子供に矯正することが子供たちにとってよいことなのかを考えます。


一般生活のなかで考えてみましょう。
最も必要な行動は「挨拶」であることは誰もが理解しています。
家族、近隣、所属する集団において、挨拶ができない子は、人との関わりを失います。


しかし、子供たちの挨拶の仕方は様々です。
元気よくできる子もいれば、言葉がうまくだせない子もいます。
それらを一律に「挨拶運動だ」と号令を発してもできるものではありません。
子供たちに挨拶を強要すると、挨拶に不慣れな子供は萎縮します。


挨拶をすぐにできるようにしてはなりません。
一年間かけてできるようになればいいのです。
先生と子供、子供同士、親密になるなかで自然に表現できるようになることです。
そのためには、先生が一番上手な挨拶をします。
しかも、子供よりも先に声をかけます。
子供に先に挨拶されたら「しまった」と思うことです。


さらに、挨拶には言葉かけではなく、言葉を介さない会釈があることも伝えます。
廊下ですれ違う先生に対する会釈。
近所の知っている人への会釈。


挨拶で言葉よりも相手に対する真心が大事です。
挨拶は、相手の心の門をたたくことです。
挨拶は、仏教用語ですね。


「おはよう」「さようなら」「こんにちは」以上に大切な言葉。
人間関係を円滑にする言葉。
「ありがとう」「ごめんなさい」の多用です。
さらに「えがお」「ほほえみ」をもって接することです。

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