教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 964回 働き方改革 なぜ労働の内容が問われないのか

教育を効率的、合理的に進めようとしています。
教育に効率性を求める必要があるのか疑問に思います。
現場では「〇〇の導入で仕事の負担が少なくなった」という声。
さらには、働き方改革と称して、労働時間ばかりが問題視。
教育実践の内容はとりあげられないです。


時間をかけてもかけなくても、先生が子供をどれだけ育てたかが問題なのです。
先生が子供の指導にかける時間を確保することが、教員の働き方改革ではないでしようか。
それが、労働時間が長い、残業が多いと不満の声が優先されています。


実際に就業時間内で明日の授業の準備ができるのでしょうか。
教員の労働時間は他の職業とは違います。
子供に情熱を傾ければ傾けるほど、教材準備や指導に時間がかかります。


このようなことを言うと、時代に逆行しているといわれそうです。
しかし、子供を育てて給料をもらうわけです。
学校に何時間か座って給料をもらっているのではないです。
すべての職業は、顧客を満足させていくらの世界です。
そのためには、多くの時間をかけて準備されているはずです。


教員の仕事も同じです。
ちなみに、私は、教員生活で自宅に帰って授業の準備をしていました。
学校にいるときは、どうしても雑用に追われて準備時間が少なかったです。
学校でなければ準備できないことは、理科の予備実験です。
子供たちに実験授業をするときは、前もって予備実験をしました。
当たり前のことです。
それでも、実際の授業においては、予想外のことがでてきます。
板書計画では、教材によっては、放課後、自分で黒板に書くこともありました。


これは特別のことではないです。
子供たちに学習意欲をもってもらいたいという一心で取り組んだものです。


先生が自分の事情を考慮して、自分なりにかけられる時間を確保すればいいことです。
長い短いは関係ありません。(子供に対する情熱が大切)

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