教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想947回 2の段階 注意・叱責は簡潔に 心地よく

「どの子にも同じ言葉使い、同じ態度で接する。」
これが一番難しい。
同じ言葉を使っているようでも、話している時の表情が異なる。
声には相手に対する想いが自然にでてしまうことがある。
先生自身が相当意識しておかないと、子供たちから見ると差別感を与える。


注意・叱責は簡潔に 心地よく
先生は、指導の名のもとに子供たちに長々と注意することがある。
あたかも家庭で不満があるかのようなヒステリックに叱る先生もいる。
「あなたという人は・・・」と、叱る事実から人格否定に変わる。
「前にも同じことがあったよね」
言われた子供は、自分の人生を否定されているように感じる。
今、怒った問題から過去の子供のことに及ぶ。
常に、過去を問われたら子供にとってはたまらない。
子供に未来に向かってはばたけと言いながら、過去の出来事で子供の足を引っ張る。


短く注意する。
長々とした注意はマイナスである。
しかし、先生にとっては、腹立たしさがあるのでついつい・・・。(自己嫌悪になる)
特に、子供が反省している場合は、短い言葉に限る。


心地よいとは、注意されているが先生のまなざしがやさしい時である。
先生の表情のなかに、子供たちは自分に対する先生の期待を感じている。
先生は、今の事実はよくないが、やがて、自力で立ち直るだろうと子供を信頼している。


子供に注意したり叱責したりするのは、先生の子供に対する期待でありやさしさである。(ほっとけないやさしさ)
その先生の気持ちを子供たちが理解できたとき、子供と先生はさらに近づいていく。
さらに、注意したり叱った後、一番最後の言葉が大切である。
「あなたには、今日の行動は似合わないよ」
「あなたらしくないことをしたね」
「あなたの明日からが楽しみだなあ」
子供には、未来、これからの行動に期待していることに気づかせる。


反対もある。
注意・叱責が先生の面子を維持するためのものになっている。
周りの先生に自分の指導力不足だと思われたくない
だから、よけいに、子供に強く注意する。
職員室で飛び交う言葉「私は、常、日頃指導しています」
「口酸っぱく言ったのですよ」


よく町で子供が行儀悪い行動をしたら、
お母さんは「いつも、迷惑をかけたらだめよと言ってるでしょ」
と、周りに聞こえるように話される。
先生にも似たようなことがある。
集会活動の時に行儀が悪い子供がいると「静かにしなさい、いつも迷惑をかけるなと言ってるでしょ」


叱ったときは、正直、「一言多かったかな」「一言少なかったかな」
と反省することが多かった。
子供の問題行動は、指導者である先生自身の問題、私の問題であった

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