教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 919回 私の一年間の教育実践の評価 その視点

一年間、精根をかたむけて育成に努めたクラスの実態について冷静に評価します。その視点を紹介します。あくまで個人的なものです。


1. 学級全体の学習、集団活動に対する高まりをどのように把握してきたか。
2. 各教科に対して、子どもの意欲・関心に偏りはなかったか
3. 委員会、クラプ活動、学校行事に対して、意欲・関心の程度は。
4. 一人ひとりの子どもについての反省の視点
① どの子も担任や友達に対して心を開いて話ができたか。
② どの子も学習・生活において、意欲関心を示したか
③ 学級集団に自分の力をだしたり吸収したりしたか。
④ それぞれの得意分野において自己最高記録を目指していたか。
⑤ 教科、生活において、自己反省を積み重ね、よりよき方向へ自分を導こうと進めていたか。
⑥ 先生の庇護を離れ、どれだけ自分の力を発揮しようとしているか。
⑦ 私の指導成果が表れていた子どもとそうでない子どもはだれか。
その原因は何か。


それぞれの視点について、厳密な客観的評価はできません。
大切なことは、先生として主観的に把握できているかどうかです。
あくまで、先生の個人内評価です。
他の先生と比較する必要はありません。


この項目は、年度によって追加修正しました。
一人の子どもを育てられない者は、学級集団を育てることができません。
職員集団に流されても、その流れに乗っても、上のような自分の視点を失うことなしに実践を続けることでした。
目立たぬように静かに子どもたちと関わっていきました。
常に悔しさがあり、次年度こそと気持ちを新たにしたものです。


反省項目は一例です。
先生方によって項目は異なるでしょう。
結果から自分の指導者としての自己反省をします。
自己反省できることが教員の独り立ちです。
子どもの独り立ちを求めるならぱ、先生が独り立ちをすべきでしよう。
子どもに求めることは、先生として人間として実践していることが大切です。
これを同行教育といいます。

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