教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 918回 職員組織は 仲良しクラブなのか

勉強会に来られている先生のお話から察すると、職員間の子どもや教材についての話し合いや相談が少なくなってきているとのこと。
これは、それぞれの学校においての違いがありますが否定はできません。


次の例から職員組織が仲良しクラブであることがわかります。
例1 朝集が終わっても教室に行かない先生たち。
 一時間目のチャイムがなっても、仕事以外の雑談をしています。
 昔からこのようなことはありました。
 その様子を管理職を含めてだれも注意しないのです。
 企業でしたら倒産の方向に向かいます。
例2
午後になると、子どもたちが下校していないのに、おやつを食べている何人かの先生。
どうしても空腹でおなかを満たしたいときはあります。
しかし、机上におやつを広げるのはどうでしょうか。。
その様子を見かけた子どもたちは「先生だけいいなあ」とつぶやきます。
例3
これは以前に話しました。
授業研究の時のお互いの問題点に触れない、避けている話し合い。
全員で共通の問題を導き出し、掘り下げていこうとする態度ではありません。
例4
ある学校で地域の研究会がありました。
その研究冊子を見せていだたきました。
誤字脱字の多いことです。
さらに、実践したそれぞれの先生のレポートに共通性がありません。
私は、この冊子作製の時に、先生方がお互いにチェックされたのですかと先生に尋ねました。
「形の上ではチェックすることはありましたが、内容までは検討されていません。」
若い先生が誰にも自分の原稿を吟味されずに済まされてしまうことに危機感を覚えます。
例5
「子どものために頑張ってください」と管理職の声。
タテマエだけであって、椅子から立ち上がろうとしない管理職。
せめて、各教室の子どもたちの姿を参観すべきです。


他にもいろいろあると思われますがきりがありません。


いつからか地域の学校評価の委員会が設置されたときから、学校はタテマエを大切にするようになりました。(もちろん一部ですが)
保護者のクレームがあると、すぐに家に行って弁明しなさいという学校。
その前に、管理職は職員から確かな事情と指導を聞くべきです。


学校の存在自体に自信がなくなっています。
世間の目を恐れているとは言いすぎでしょうか。
学校は、独自の教育方針でもっと堂々としなければなりません。
いじめがあると、隠蔽の方向に走ります。


これはほんの一部です。
なぜなら全国の学校を回ったわけではありませんので一般化はできません。
ただ、そのような事実がある、あったということです。


職員が仲良しになることはいいですね。
でも、マイナス面を表面化しないために仲良しになるのはどうでしょうか。
そうはいっても学校によって難しい問題だと思われます。
先生も管理職も堂々と世間に向かって、自分の教育を語れるようにしたいですね。

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