教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 916回  教員の生き抜く道 二つ

先生の職名には、教師、教員、職員があります。
教師と呼べる先生も多くおられます。
私などは、いつも自分で「教員か職員程度」だと思ってきました。
教師などは、恐れ多いことでした。


学校という閉鎖的な社会を生き抜くことは大変です。
教職員のいじめはあります。
表面化するかしないかだけです。
子どもに教える立場にいる先生なのに、道理にあわないこともあります。


「私の学校にはありませんよ。みんなで楽しく仕事しています。」といわれる先生もいます。
しかし、なんとなく職員のなかで、小さなグルーブ(派閥とまでは言わないが)
に分かれています。
そのような職場環境にあってもだれとでもうまく付き合っていく必要があります。
学校教育は組織が大切です。
職員間の親密度、話しやすさも子どもたちの教育に影響します。


教員の生き抜く道は二つです。
一つは、子どもたちの教育に徹すること。
一つは、「仲良しクラブ」のなかで、まわりとの間で波風を立てずに暮らすこと。


実は、どちらも大切です。
先生独自の教育理論や実践があっても、自分から名乗りでるようなことは
しません。
教室の子どもたちの変容から周りの先生が感じていけばいいことです。
職員会や研修の場で自説を強調しないようにします。


教職員の流れに乗りながら、自分は流されないという覚悟を持ちます。
先生の仕事の最前線は、子どもの前です。


かつて、「教育の法則化」が流行し、それを勉強された若い先生が多くおられました。
その先生方が、校内研修の場で自分たちの実践を強く主張されました。
そこまではいいのですが、他の先生の実践を否定するようになりました。
同僚の先生の実践は、いかなるものでも周りがサポートすべきものです。
先生の個性は、集団として学ぶべきものがあります。


先生という人間が、集団のなかで生きていけないで、どうして、子どもたちに集団生活を維持していけるような指導をすることができるでしょうか。


子どもたちの教育に徹すれば徹するほど、周りの先生を大切にする姿勢が求められます。
集団の流れに身を委ねながら個人の独自性は維持します。

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