教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 896回  授業における沈黙 言葉に言葉を足さない

今の先生、いや、昔からそうですが、授業を拝見するとおしゃべりしすぎです。
今のテレビのワイドショーと同じように、立て続けに言葉を発しています。
そうしないと間合いがもたないようです。


授業者の指示のあとに、さらに、細かい指示、付け加え発言がでできます。
先生に自信がないのです。
言葉を発して待つだけの、子どもたちへの信頼がないです。
子どもがフリーズすることを嫌がっておられるようです。
子どもたちのフリーズは、授業者の能力に起因すると考えておられる先生もいます。


授業開始時の先生の姿がとても大切です。
子どもの前に立ちます。
沈黙のなかで全体を、子ども一人ひとりとアイコンタクトをとります。
この沈黙で子どもたちとつながりを持ちます。
同時に、今から勉強するぞという教室の雰囲気を醸し出します。


黙して引き付ける。
黙して包括する。


子どもたちには緊張感が漂います。
そして、最初の言葉。
「今から算数の勉強を始めます」
子どもたちは期待外れです。
始めることは事前にだれもが知っていることです。
わかっていることをいわないようにします。


「面積って何?教えてください」
前置きなしの質問です。
説明するのならわかるけど、先生が教えてとは?
子どもたちに指名します。
子どもたちは戸惑います。
ぼんやりしていた子どもは目覚めます。
子どもたちに先生の勉強の仕方になれさせてはいけません。


授業者は、言葉をできる限り少なくするようにします。
さらに「面とはなにかな」「積とは何?」と細かくします。
・・・・子供たちのつぶやき・・・
「面とはひろさ 積とはかけ算ですね」
「広さをかけざんで求めるのが面積の勉強です」


授業者が質問したあと、そのあとに安易につけくわえない。
付け加えると子どもたちの思考が阻害される

当たり前のことなのですが、授業を参観していると間がもたないよう

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