教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 894回 「自己調節能力」とは、自己調節できないことを自覚する能力

学校教育目標「自主性や積極性、自己調節能力の育成」を考える


ここで再確認することは、「自己教育」とは何かです。
「自分自身に対する教育で自分にとって何が必要かを自分で考え、学ぶことに対して意義をもち、自ら主体的に学ぶことを必要とする」
子どもが自分にとって必要であると認識することです。
最初は先生に与えられたものでも最終的に自分に必要なものとして選び取ります。


自分にとって必要だとわかってから始めるのもあれば、あとで、必要だったと後でわかることもあります。(内容によって)
ここで、子どもの主体性をこわしているものを考える必要があります。


「一人でやってみたいのにやらせてもらえない」
自力で考えたいのに、先生が説明する。
自力で頑張っている時に、最後まで見守ってほしいのに、先生が途中で評価する。
先生は、子どもたちが自力ですることは無理だという先入観を持っています。


「自己調節能力」は自分を律することができることですが、大人でも難しいことを子どもができるのでしょうか。
むしろ、自己調節できないで、けんか、もめごとを経験させることが必要です。
自己教育力は、子どもたちに多様な経験と失敗、時には挫折することを通して、自分とは何かを見つめ直すことができる力です。


大人でさえ自己調節できないこともあるなかで、子どもに要求していいのでしょうか。
私は、自己調節できるためには、トラブルや失敗体験を想定します。
そのなかにおいて、自己調節できなくていいのです。
自分を抑えきれずに、かっとなることもいいです。
ケンカし始めたら、しばらく見守ります。
自分が自分で調節できないことを思い知ればいいです。
初めから、自己をコントロール、律することを子どもたちに強要しません。
それでは、ロボットです。
ロボットは、最初から最後まで自己調節できるようにつくられています。
集団生活の良い面は、人間が集まるともめごとがおきることだと考えてみたらどうでしょうか。。
そこで、自分と相手との距離感をつかんでいきます。
自分の感情を調節したりこえたりできます。


教育目標は、大人でもできないです。
できないからめざさなくてもいいのではなく、子どもたちの自分を見つめる視点として入れます。
それが、生涯教育の一端でもあります。

×

非ログインユーザーとして返信する