教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 892回  子どもたちの学ぶ楽しさは、授業者の苦しみと努力から


「学習規律や学習習慣の形成」が学校教育目標の指導事項です。
具体的には、「自主学習の推進」「聞く態度」「学習準備」「家庭学習」などの項目が挙げられています。


これらの内容については、いろいろな取り組みが実施されています。
しかし、上の四つの内容は一つのことを実施することにおいて達成できるものです。
そのことを問題にしないで、各論を追い回しています。
授業過程を問題にしないで、「何を」理解させるかという面が色濃く出ています。


授業、学習指導において、「自主学習の推進」「聞く態度」「学習準備」「家庭学習」を育てるには、どうすればよいかを考えることが大切です。
授業は、子どもとの対決です。
授業は、子どもの学習意欲を膨らませるもものです。
授業は、子どもに学びの源、エンジンを組み込むことです。


子どもたちが先生の話を聞きたくなる学習指導。
次時の勉強が楽しみなので準備したいという気持ちをもたせる授業。
強制ではなく自分で家でやってみたいと思う家庭学習につなげた授業。
子どもたちが自主的に勉強するためには、まず、興味関心を持たせる授業。
さらに、もっと知りたい、学びたいので、その方法を理解、追究しようとする授業。


指導者が子どもにつけるべき力が先です。
興味関心をもたせず、追究する力を育てず、子どもだけに勉強しろと強要する指導。


ほっといたら自然に子どもが自主的になるわけがありません。
子どもを一動かしたいなら、先生は十のことを準備します。
これは理想ではありません。
子どものできない、わからない事実を真摯に受け止めて実践されている先生は多いです。
子どもたちの学ぶ楽しさは、授業者の苦しみと努力から生まれます。
先生の喜びは、子どもの変容にあります。
教育は、どこまでも意図的な営みです。

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