教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 890回 学校教育はスローガンで終了している

ある学校の研究会に向けての冊子があります。
研究テーマに次のようなスローガンが書かれています。
研究テーマ
すすんで やさしく たくましく
テーマ 「対話的な学びを通して考えを深め合う授業を目指して」
      ・・・多様性を認め合うための集団づくり・・・


スローガンだけが表紙の上にスペースをとっています。
一読すると、なんかかっこいいことをしているのかなと感じさせます。
再読すると、なんのことかわかりません。
教育の理想を掲げているのはわかります。


そこで、その学校の教育目標を読んでみます。
すすんで 自己教育力  やさしく 思いやりの心と豊かな感性
たくましく 気力・体力
教育目標は、どの学校でも大差ありません。
学校の看板、対外的な広告塔です。


学校によっては、校舎や運動場に垂れ幕をはっているところがあります。
「私たちは、目標をめざして子どもの教育に取り組んでいます」と主張。
しかし、わざわざ校外に向けて文言を掲示する必要があるのでしょうか。


毎日、登下校する子どもたちを見れば、どのように育てられているのかわかります。
子どもの姿は、学校の指導の過程、結果として表れます。
さらに、子どもを指導する先生の姿のなかに「すすんで・やさしく・たくましく」
が表れているかも気になるところです。
学校の運動場での体育の授業は、毎日のように眺めることができます。
果たして、そこに生き生きと指導している先生の姿をみることができるのでしょうか。


企業では、どんなに注目される宣伝をしても、使ってみれば、食べてみれば、その品質がわかります。
そして、その品質の良さ、悪さを通して企業人の姿勢が見えてきます。
子どもも同じですね。


次回から少しばかり、この教育目標について考えてみます。
看板は掲げるものではなく、おろすものです。
掲げているうちは、実現していないことを物語っています。
学年、学級目標についても同じですね・

×

非ログインユーザーとして返信する