教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想850回  上から見る指導 下から見る指導

どうしてこの子は、かけざんの九九がすらすらと覚えられないのだろうか。
何回も繰り返し指導しているのに効果が見えない。
いらいら・・・でも、がまん・・・時には、強い口調で説明することも。


彼は、宿題をしてこない。
前日にあれだけしてくるように伝えたのに、次の日、忘れている。
本人は「忘れた」と言い訳をする。
いらいら・・・あれだけ言っているのに・・・この子には私の指導が入らない。


この二つの例は、先生が子どもを上から見ている指導である。
かけ算の九九はすらすらと完璧に覚えるものだという、目標の上に先生が立っている。
学習目標の到達点、頂上に立って子どもの姿を見ている。
子どもを上からひっぱりあげようとしている


宿題は言われたらしてくるものという目標の上に先生が立っている。
してきなさいとひっぱりあげる指導、上から見る指導である。


それでは、下から見る指導とはどのようなものか。
子どもがたどたどしく九九を唱える。
何回か繰り返しているうちに、九九の唱え方に変化が見える。
九九を唱える声が少しずつ大きくなっている。(自信)
子どもは「まだ、すらすら言えないよ」と少し不安気に話す。
先生は「A君すごいよ。あなたは気づいていないと思うけど、唱える声と速さがよくなっているよ」


七の段の九九の前半が言えるようになってきた。
先生は、「どうしてすらすら言えないのよ」(上からの指導)
「A君、七の段が苦手なんだよね。でも、何度も挑戦している姿が素敵だよ。」
「前半の九九はよくなってきているから、七段の後半だけ練習してみようかな」
こうして、到達目標を下げる。(スモールステップ)
目標を下げることで子どもに希望を与える。
そして、先生は、かすかな変化を観察し認めていく。
大げさに褒めるのではなく、「いいね」と軽く褒める。


宿題をしてこないと、休憩時間にさせる先生がおられた。
給食を早く終わらせて宿題をさせる先生もいた。
すべては、先生が到達目標という頂きに立った指導である。
気もちはよくわかる。
何とか子どもに力をつけたいという気持ちは察する。
ただ、学習目標が達成された喜びと、休憩時間に他の子どもから隔離され強制された辛さと、どちらが子どもの心に傷を残すだろうか。


子どもが宿題をしてこない、これない事情を子どもとともに考える。
一人の力でできる内容なのか。
家の机に向かったとき一人でできるようにして帰宅させただろうか。
わからないまま宿題をさせていないか。
宿題の量がその子にとって多いのかもしれない。
どうして、先生は、この宿題をだしたのか、その理由は何かを考えただろうか。
ここを宿題にだすことで、子どもにどのような力がつくのか。
子どもの家庭での学習環境は整っているのか。
子どもの健康や生活習慣に問題はないのか。


上からの指導では
「こんなこともできないの?」「こんなことがわからないの?」
「何回も説明したでしょ」「聞いてなかったの?」
このような言葉を先生が発した時は、自分を振り返るチャンス。


下からの指導では
「どこがわからなかったのかな?どこまでわかったのかな?」
「先生は、あなたをどのように助けたらいいかな」
「わからないとつらいよね」
「できなかったらくやしいよね」(共感)


子どもを褒める時は上から褒めるよりも、少し下から褒めると意欲的になる。

×

非ログインユーザーとして返信する