教育随想 851回 子どもの非のなかに先生の非を見る
子どもと毎日関わっていると、職員室で愚痴が多くなる。
子どもの指導よりも欠点をあげつらうことが多くなることがある。
しかし、よくよく考えてみると
子どもの非のなかに先生という私がいる。
「行儀が悪いと注意する」時、先生も自分を振り返ると行儀がよいのかどうか。
子どもの言動のなかに、私も同じだなと感じることも多い。
先生も人間として同じ過ちをしているようだ。
問題になる子を見ていると、こちらがいらいらすることがある。
それは、その子の中に自分と同じ非、問題点を見つけているからではないだろうか。
それでも、先生は、子どもとは違う人間であるかのようにふるまう。
本当は先生も気づいている。
自分も子どもと同じであることを。
違いは自分で働いて給料をかせげるかどうかぐらいではないか。
さらに、先生は、自分も同じ過ち、失敗をする可能性があることも知っている。
ある大学の教育学者が話された。
「いい先生は、自分の子ども時代をどれだけ多く思い出すことができるかにかかっている。」
いつしか、私たち大人、先生は、自分は過去に何もなかったかのような顔をして子どもの前に立っていることが多いようである。
子どもは先生を映し出す鏡である。
子どものなかに私が映っている。
子どもが私の先生でもある。
いつしか、先生は指導者の顔を捨て去ることができなくなっている。
先生も子どもの生徒なのに。