教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 86回  わかるとは わかりなおすこと

分数の加減乗除の意味がわからなくても計算はできます。
筆算の仕組みがわからなくても筆算ができます。
漢字の学習では、覚えることと漢字の意味や成り立ちがわかるということが切り離されていることが多いです。したがって、作文のなかでは覚えたはずの漢字が使えません。


子どもたちは、知識を「覚えるべきもの」「やらねばならぬ苦役」「他人から教えてもらうもの」という感覚が高学年になるほど深刻化しています。
したがって、子どもたちは、「勉強とは誰かに教えてもらうことであって、自分たちで考えたり探究したりすることではないと思っていることが多いようです。
これだけインターネットが普及しているのですから、自ら探究しようと思えば学習は深まります


「わかる」とは、「わかり直す」ことではないでしょうか。
子どもたちが算数の勉強をしています。できる子どもは簡単なので、わすかな時間で解いています。
 そこで、わかっている子たちがわからない子どもたちの横で教えるように指示します。その後、わからない子どもたちに尋ねます。「本当にわかったのかな」「ううん、なんとなく」という返事。
わかっている子どもに「相手が本当にわかったと納得するまで教えであげてね」という指示を出します。


そうしているうちに、内容をわかっていたはずの子どもたちが「わからなくなってしまった」という声を上げます。それでいいのです。わかったと思ったことが、友達に説明しているうちに自分の中にわかっていない部分を発見することになります。
「わかり直し」が始まります。
何度かの「わかり直し」をへて本当の知識が獲得されます。



 授業というのは、この「わかり直し」のプロセスです。
 「わかる」ことを「わからなくする」ことを経由して「わかる」」ようにするのがポイント。
 「待てよ」「えっ、わからなくなった」「やっぱりそうだ」「そういうこともあるのか」
 そんな子どもたちのつぶやきが表れたら学習が深まっていますね。

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