教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 831回 4年国語「ごんぎつね」 クライマックス「ひきあわない」

ごんぎつねについては、教材解釈と指導過程について176回から183回の
計8回に分けて詳しく書いている。
今回は、その補足をしたい。


この物語のクライマックスは5場面である。
最後のごんが兵十にうたれる場面は、読者サイドの問題になる。
ごんの死を子どもたちがどのように受け止めるかは子ども自身の問題である。


5場面の最初の文章。
「ごんは、お念仏がすむまで、いどのそばにしゃがんでいました」
ごんは、何を期待して待っているのか。
この理由が、5場面の学習前に全員が理解しているか、理解させようとしてきたかが重要である。


4つのことが考えられる。
〇栗やまったけを送ったのは自分だというこがわかってほしい。
〇今までのこと(うなぎのことは後悔している。うなぎのことは誤解だ)をわかってほしい。
〇自分に好意をもってほしい。
〇独りぼっち同士、なかよしになったらいいなあという期待。


上の4つのことを理解している子どもは「ひきあわない」が理解できる。
理解していない子どもは、「ひきあわない」の言葉の内容を理解できない。
本文を通して理解を図る。


子どもたちが理解できている場合の指導例
5場面を読み終わった後の指導。
➡ここで重要であると思う言葉を探してみよう。
① おねんぶつがすむまで井戸のそばにしゃがんでいた。(長時間)
② ふたりの話を聞こうと思ってーついていきました。(期待感)
③ 兵十のかげぼうしをふみふみついていきました。(危険を冒してまでの関心度)
➡一番重要な言葉を選ぼう。
 この場面は、子ども質の話し合い学習にまかせるところである。
➡ごんは、なぜ、二人の会話が気になったかを話しあう。


理解できていな場合の指導
一問一答で学習を進めてしまうと
「お念仏がすむまで、なぜ待っていたのでしょう。」
「なぜ二人の話を聞こうとしてついていったのでしょう。」
「かげぼうしをふみふみいったということはどういうことでしょう。」
子どもたちをごんぎつねの気持ちに同調させるように働きかける。
しかし、この指導では、子どもたちに内容を理解させることに終始してしまう。


そのようにならないための指導として考えられるのは
① 五場面を読みましょう。
② ここにかいてある会話文だけを全員で読みなさい。
③ 今声に出した文を「口で言っている文」と「心で思っている文」にわけなさい。
④ ごんは、なぜ、こんなことを思っているのでしょう。
以上の方法で子どもたちの思考を整理する。


⑤ の問いかけをさらに詳しく考えると
引き合わない ことに視点をあてる。
何と何が引き合わないのか。
ごんが兵十から期待している言葉は何か。
なぜ、兵十からその言葉がでないのか。
ごんは自分一人で物事の展開を図っているごんの心情をさぐる。
そこに、ごんの悲劇の材料がある。
 ・今まで一人ぼっちでくらしてきた。
・仲間との付き合いがわからない。
・一人勝ってにことを運んでいる。
・でも仲間がほしいと願っている。


以上のように、「引き合う」という言葉を前にして理解している、されていないによって指導の在り方が変わってくる。

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