教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

に育随想 829回 先生の口ぐせ「きちんと」の意味するものは

ある先生が掃除の指導に力を入れていると言われた。
子どもたちが掃除をしたあと、必ず点検をしているという。
そして、汚れていたら「きちんと掃除をしなさい」「もっときれいに掃除しなさい」
と指導するとのこと。


私はその先生に尋ねた。
「たとえば、教室の掃除について、きちんと掃除するとはどういうことですか」
「どこまでできたらいいのですか」
先生は「ごみが目に入らなくなるまでさせたいです」と言う。


さて、この「きちんときれいに」という掃除の基準があいまいである。
ごみが目に入らなければ良しという基準はあいまいである。
掃除の始め方、掃除の展開の仕方、掃除の終わり方の3つに分けて考える必要がある。
子どもたちが掃除を始めるとき、どのようにグループで分担してから始めるか。
掃除をしている時のお互いの協同作業はどうするか。
終わった時に相互点検をして見直しているか。
特に、机やいすのずれ、棚の上のほこりなどの細かい箇所を見直す。
それでもきちんとできているとは評価されないかもしれない。


教育において掃除は目的ではない。
掃除を通してきれいになることを通して、心が爽やかになっていく過程が大切。
友だちと協同的に行う掃除の大切さ、温かさを感じ取れること。


さらに、時間という制限のなかにおいて、効率と美しさをどのように両立させるかを考えさせる。
最後に、見直しと掃除用具の整頓も入れて終了。
「きちんと」という言葉を振り返る。
「きちんと」という言葉には具体性がない。
先生の指導言葉のなかで曖昧なもののひとつである。
きちんと書きなさい。
きちんと片付けなさい。
きちんと計算しなさい。


ところが「きちんと」という言葉の意味するところはかなり厳しい。
意味を調べると
① 秩序正しくて、乱れたところいい加減なところがない様子。
② 手を抜いたり、あいまいな点を残したりすることなく、物事に適切に対処する様子。


先生は、「乱れる」「いい加減」「あいまい」「手抜き」の意味するところを目指すのだろうか。
そうであるなら、その基準を具体的にすべきである。
子どもに「きちんと」という言葉を多用することの指導を見直さなくては。
きっとそこまで意識されて使われていないのだろう。

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