教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 813回 先生の基本姿勢 させる  しむける  つきはなす

先生の基本姿勢と言うよりは、私自身が生涯貫いてきた姿勢です。
させる…その動作を勧めたり、命じたりする。
しむける・・・特定の行動をするように働きかける。
つきはなす…突いて押してはなれさせる。


させる
作業が遅い子どもをがまんできなくて、いらいらしてつい手助けする。
全体の効率をあげるために、遅れている子どもの作業に手を貸す。
最後まで、その子にさせることは少ない。
集団の効率を高めようとすると、遅れている子どもが先生にとって気になる。
任せたいけど、遅らせたくないというジレンマのなかで迷ったり焦ったりする。
これは、だれにでもある。
子どもに強制することは必要である。
今、強制することが好ましくないと言われることがある。
しかし、すべてのことを子どもに納得させてからできるとは限らない。
後になって子どもが「そうだったのか」とわかればよい。
強制するとき、結果において子どもの笑顔を想像できるようだったらよし。


しむける
子どもの学習の問題。
子どもが自力で問題を解決しなければならない時に、ヒントヒントで解決させる。
自力で解決できるという見通しをもつことが必要である。
見通しをもつためには、子どもの能力を十分に把握しておく。
学びの目標は、自力で解決できることである。
解決できるように指導する。
困っている子ども、学習が停滞している子どもに、どのような方法、手段を与えたら自力で解決しようとする意欲を持たせることができるか。
先生の働きかけが大切になる。
先生の意図することを子どもが行動できるようにしむける。


つきはな
これは最もむずかしい。
子どもたちは先生にもたれかかってくることが多い。(甘え)
子どもは、どのような行動をとれば大人が助けてくれるかを心得ている。


つきはなすことで、子どもの意欲が小さくなることがある。
つきはなすことで、子どもの先生への信頼感にすきまができることもある。
しかし、先生は、子どもの先生に対する依頼心、依存心を無視することもある。


自分でできるのに、「先生教えて」とすぐに答えを求める子ども。
ちょっと読んで、すぐに「わからん」とつぶやき諦める子ども。
自分の嫌なことに初めから手をださない子。
子どもは、自分がわからない、できないことで傷つくことを嫌がる。
しかし、どのように学べば、考えたら自力で解決できるかを助言する。
助言したらあとはつきはなしてみる。


つきはなすは「見守る」ことである。
つきはなしたら、先生は目を離さない。
子どもの能力(できるはずだ)を信じて、つきはなすことである。
子どもは、自分の力を使って解決できた時の喜びは、先生に教えてもらった時よりもかなり大きいものである。

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