教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 810回 情報の渦に溺れるな

街を歩いていると、若者が集団で座り込んでいる場面を多く見る。
その様子を見ると、楽しく語り合っているようには見えない。
一人ずつが自分のスマホで何かしらボタンを操作している。
ゲームかチャットかは知る由もないが、集団が沈黙の空気のなかに埋もれている。


何かしらの情報を得るために検索することはよくある。
しかし、どうしても検索する必要のある内容はそんなに多くはない。
それ以外は、家政婦が見た式のものである。
世の中の事件事故をニュースなどで検索する。


そして、「ねえ、こんな事件(事故)かがあったんだよ」と他人に話す。
誰よりも早く知り得るたことは、優越感を伴って話すことができる。
そして、井戸端会議の話題になる。
その内容が本当に自分にとって必要な情報かは疑わしい。
他人と共通の話題にするだけなのかもしれない。


テレビが連日垂れ流す情報もこれに近いものがある。
お年寄りは、一日テレビのスイッチをつけていることが多い。
だから、テレビの情報に最も多く影響されている世代である。
コロナの情報は、高齢者に恐怖を与えすぎている面があるようだ。


知りたいことを検索するのはよし。
しかし、知りたくない、どうでもよい情報も向こうから勝手に入ってくる。
自分で考えなければいけないことまでも情報は親切に答えを伴ってやってくる。


情報は、人間の好奇心を増幅させる。
情報は、どこにいても自分が世界の中心にいるような気にさせる。
情報は、週刊誌を読むがごとく暇つぶしになる。
情報は、課題を押し付けてくる。
情報は、答えまで提供してくれる。


そのうち、迷うことなく、考えることなく、情報に操作されていく。
情報は、私にとって自分を退化させるように思える。
不必要な情報を遠ざけるようにしている。
大切なのは、私が見聞きしたり体験したりして得る情報である。
そのために、自分の感性、受信アンテナを磨く努力をしたいと思っている。
教育に必要な能力のひとつである。

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