教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 803回 小1児童に「幼稚園・保育園行きなさい」ニュースから

こんなニュースがあった。
小1児童に「幼稚園・保育園行きなさい」
女性教諭の不適切言動、授業参観の保護者が目撃。
発表によると、教諭は、2019年度と21年度に担任だった1年生児童に対し
「暴れたり騒いだりする子たちがいるところに行きますか」
「幼稚園・保育園に行きなさい」などと計12件の不適切言動を行った。
昨年7月授業に参観した保護者が目撃し、発覚した。


教諭は県教委の聞き取りに「思い通りに指導が通らないストレスで威圧的な指導に頼った。」とし「心身に深刻な悪影響与えを、児童や保護者に申し訳ない」と述べたという。
当時の校長、教諭は辞職願を提出しており、同日、辞職が承認された。
・・・・・・・・以上 岩手県のニュースから・・・・・


先生の不適切言動は、よく取り上げられる問題である。
ただ、先生の「思い通りに指導が通らないストレスで威圧的な指導に頼った。」
この言葉から当時の先生の悩みを感じることができる。
このようなケースにおいて、いつも気になることがある。
この先生の言葉だけが取り上げられて、その前後が切り取られている。
子どもの実態はとりあげられない。(子どもの人権擁護の観点から)


当時の小学校1年生は、どのような行動をとっていたのか。
教室の他の友だちへの影響はどうであったのか。
私も実際に小学1年生の問題行動を見たことがある。
相当目に余るものがある。
高学年の子どもと違って、躊躇なく問題行動に走る。
先生の言う事も聞かない。


このニュースの子どもたちはどうであったか知らない。
ただ、先生の話から、よく騒いでいた子どもであったかもしれない。
先生が目に余る子どもに対して、威圧的な指導をすることがある。
それを責めることができるのだろうか。
先生が一生懸命になればなるほど乱暴な指導になることがある。
今の社会は、先生の少しの過ちも許さない
先生は保護者や地域の人々の顔色ばかりを窺うようになる。


先生が指導にあまり力を入れないほうが生きやすい学校なのだろう。
まじめに努力していると、思い余って言葉が乱れることはある。
それはそれで仕方がないことだと思う。


決して、その先生の言動を擁護するものではない。
しかし、その先生の気持ちは理解できる。

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