教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 802回 学びの質を 全員発言に求めない

路傍の石

集団学習をとりあげる。
指導者の側にたって考えることにする。
いい授業の条件として「クラス全員を学習に引き込んでいるか」
授業の反省会では、子どもたちが授業に全員参加しているかどうかが話し合われる。
その時の全員参加の基準の一つが「発言する子どもの多さ」である。
なかには、全員発言を絶賛されることもある。


子どもの発言の多さで学びに参加していると決めることは無意味である。
子どもの発言の回数ではなく、どんな時にどのような内容の発言をするのかが大切である。
さらに、その発言によって、集団の学びにどれだけ影響を与えたかである。
学びの流れに沿っている発言がなされているかどうかである。
そして、その発言に周囲の子どもたちの注目が集まることである。


これは、授業参観を後ろでみていたのではわからない。
教室の前に近い横から観察する。
指導者の発問、指示は耳から入れて(指導者を見る必要なし)、注目するのは、一人一人の子どもの目の動き、さらには子どものからだの動きである。


子どもたちは、発言で学びに参加しているのではない。
子どもたちはからだ全体で学びに参加している。
先生や友達の発言に、納得、反対、疑問、興味なしをからだ全体を使って表現している。
これを指導者は瞬時に判断する。
ITを使って子供の反応がわかると言われているが、機器を介在しないとわからないようでは、指導者としての力は弱い。
逆に、機器を多用することによって指導者の力がさらに弱くなる。

実践者としての道を求めて

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