教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 796回 「夏休み宿題お片づけ隊」自治会の行事

次のような案内が届きました。(自治会だより)
「自治会館で、夏休みの宿題を楽しくお片付けしませんか。大学生のお兄さんが分からないところや、困っているところを教えてくれまいよ。
・・・自治会館では、宿題が残っている子どもたちに、涼しい自治会館で宿題を終わらせ、元気に新学期を迎えられるようにお手伝いができればと思っています。お助け隊では、む現役大学生の○○さんが子どもたちのお勉強のサポートしてくれます。算数や国語、読書感想文など、相談にのってくれますよ。
参加した子どもたちにはお菓子も用意しますよ。」
このあとに、参加カードが印刷してあり、名前を書いて申し込むようになっています。


子どもたちが各家庭で、夏休みの宿題が進まない子どもを案じておられるのでしょう。そのような声が繁栄されての企画だと考えます。


この案内を見て、保護者は助かるので歓迎される人もあるでしょう。
しかし、先生方は、この案内を見て、諸手をあげて賛成しますか。


その前に、この企画をだされた人たちの考えについて書きます。
「宿題」を「お片付け」ととらえている点です。
処理するものとして勉強が捉えられています。
「楽しくお片付けしませんか」という言葉にその気もちが表れています。
勉強を「片付け」の対象としているところに違和感を感じます。


さらに、「元気に新学期を迎えられるようにお手伝いが・・・」
宿題が残っていると子どもたちは元気に二学期をむかえられないのでしょうか。
できなかったらできないままでいいのではないでしょうか。
さらに、極めつけは「お菓子も用意しますよ」です。
どうして、宿題をするのにおかしが用意されるのでしょうか。
自治会費を使って、宿題が終わっていない子どもに特別待遇をするのでしょうか。
宿題・・・困る・・・お片付け…楽しい二学期・・・お菓子・・。
学ぶ意味はどこにもかかれていません。


子どもたちが、どうして宿題を残してしまうのかは考えられていません。
問題がでたらすぐに答えを与えるのと同じです。
さて、学校の先生は、これをどのように感じられるでしょうか。


夏休み前には、子ともたち全員が宿題ができることを念頭において、難易度、学習量を考えて課題をだしておられるはずです。
子どもが宿題をどの程度、独力でこなしてくるかがひとつの評価です。
さらに、そのことを分析することで、二学期の学習計画の修正が行われます。


宿題をこなせたかどうかをチェックすることが大切です。
読書感想文のかき方については、7月の学習計画のなかに入れて指導しておくようにします。
夏休みに入る時には、子どもたち一人ひとりが自分もできるという感覚を持たせて、先生の手から離れていきます。

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