教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 795回 国語力の低下 ごんぎつねの授業の記事から

興味深いネット記事がありましたので紹介します。
筆者は石井光太(いしいこうた)さんの記事です。
石井さんについては、次のように紹介されています。
「1977年東京生まれ。作家。国内外の貧困、災害、事件などをテーマに取材・執筆活動をおこなう。」
少年犯罪から虐待家庭、不登校、引きこもりまで、現代の子供たちが直面する様々な問題を取材してきた石井光太さんです。


その方のが問題を提起されています。
「国語力をめぐる先生たちの強い危機感」というテーマで書かれています。
その文章を紹介します。


・・・なぜいま〈国語力〉が問題なのでしょうか?・・・
「あらゆることを「ヤバイ」「エグイ」「死ね」で表現する子供たちを想像してみてください。彼らはボキャブラリーが乏しいことによって、自分の感情をうまく言語化できない、論理的な思考ができない、双方向の話し合いができない――極端な場合には、困ったことが起きた瞬間にフリーズ(思考停止)してしまうんですね。これでは、より問題がこじれ、生きづらさが増すのは明らかです。以前はこうした実情を、〈うまくいっていない子〉に共通の課題だと認識していました。ところが数年前から、各地の公立学校に講演会や取材でうかがうことが増えるなかで、平均的なレベルとされる小・中学校、高校でも、現場の先生たちが子供たちの国語力に対して強い危機感をもっていることがわかりました。言葉によってものを考えたり、社会との関係をとらえる基本的な思考力が著しく弱い状態にあるという。」
石田さんは、小学校の国語の授業「ごんぎつね」(4年生)をごらんになって衝撃を受けられたそうです。
その授業がどのような授業であったかを紹介されています。
「この童話の内容は、狐のごんはいたずら好きで、兵十という男の獲ったうなぎや魚を逃してしまっていた。でも後日、ごんは兵十の家で母の葬儀が行われているのを目にして、魚が病気の母のためのものだったことを知って反省し、罪滅ぼしに毎日栗や松茸を届けるというストーリーです。
 兵十が葬儀の準備をするシーンに「大きななべのなかで、なにかがぐずぐずにえていました」という一文があるのですが、教師が「鍋で何を煮ているのか」と生徒たちに尋ねたんです。すると各グループで話し合った子供たちが、「死んだお母さんを鍋に入れて消毒している」「死体を煮て溶かしている」
兵十が葬儀の準備をするシーンに「大きななべのなかで、なにかがぐずぐずにえていました」という一文があるのですが、教師が「鍋で何を煮ているのか」と生徒たちに尋ねたんです。すると各グループで話し合った子供たちが、「死んだお母さんを鍋に入れて消毒している」「死体を煮て溶かしている」と言いだしたんです。ふざけているのかと思いきや、大真面目に複数名の子がそう発言している。もちろんこれは単に、参列者にふるまう食べ物を用意している描写です。
―「死体」を煮ているとは、あまりに突飛な誤読ですね!
石井 これは一例に過ぎませんが、もう誤読以前の問題なわけで、お葬式はなんのためにやるものなのか、母を亡くして兵十はどれほどの悲しみを抱えているかといった、社会常識や人間的な感情への想像力がすっぽり抜け落ちている。
 単なる文章の読み間違えは、国語の練習問題と同じで、訂正すれば正しく読めます。
でも、人の心情へのごく基本的な理解が欠如していると、本来間違えようのない箇所で珍解釈が出てきてしまうし、物語のテーマ性や情感をまったく把握できないんですね。」以下略
さて、このお話を聞かれてどう思われたでしょうか。
このような話は、現場の先生からも伺ったことがあります。
先生方も同じようなことに気付かれたことがあるでしょう。


私は、石井さんの言われていることに一つだけ疑問点を持ちました。
教師が「鍋で何を煮ているのか」という質問です。
子どもたちがごんに寄り添って読めるように指導していたとしたら、上のような問いはありえないことです。


さらに、この場面を読むにあたって、なべの中味はわかりません。
わからないことを尋ねているから、子どもたちは上のような意見をだします。
この場面は、兵十の家の様子がいつもと違うことをごんが発見していくところです。
ごんの気づきが大切です。


むらの人々が集まっているのに、なべの音が聞こえるくらいまわりが静かであることにごんは気づきます。
その結果、「だれかが死んだ」と類推するのです
なべの中味を尋ねた瞬間、子どもたちは、ごんの気持ちから離れてしまいました。
授業者の力量の問題です。
国語力の低下の問題の一つに指導者の授業力をあげる必要があります。
ワークシートにたよりきった授業。
言葉にこだわることなく、すぐに感想を書かせる授業。
国語力の低下の原因に指導者の国語に対する課題意識の欠如があると考えています。
国語力の低下原因は一つではありません。
しかし、先生は、指導者として振り返らなければならないことがあります。
もしかして、子どもたちの国語力の低下の原因は「私の指導の問題」ではないかと自問自答することです。

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