教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 794号  ていねいな情報は脳力を衰えさせる

猛暑が続いています。
防災アプリからの熱中症警戒アラートです。
「○○県では、今日12日、熱中症の危険性が極めて高い気象状況になることかせ予測されます。」
危険な時間帯を確認し、熱中症予防のための行動をとってください。」
連日、この情報が配信されています。
さらに、具体的指示として次のようなことが挙げられています。
〇外出は極力さける。
〇運動は中止する。
〇エアコンを適切に使用する。
〇こまめな水分、塩分補給。
〇高齢者には呼びかけを。


アラートの内容を読めば読むほど、小学生に対する先生の指示に似ています。
「熱中症の危険性が極めて高い気象状況になる」という言葉から一人ひとりが自分の生活環境に合った対策を考えたらいいことです。
「外出 極力さける」「運動中止」「エアコン適切に」「こまめな・・・補給」
子どもによっては、仕方がない面もありますが、果たして、これが大人に対する指示でしょうか。


個人が対策を考えるのであって、外から対策の答えをもらうことではありません。
極めて高い気象状況になるという情報は必要です。(個人ではわからないから)
しかし、それに対する対策は、個人で考えられるものです。
脳で考える機会を奪われて、直接的に指示されています。
情報を伝える側は、ていねいであると考えているかもしれませんが、受ける側の脳力を奪っているとはいえないでしょうか。


このようなことは、先生と子どもの間において多々あることです。
先生が子どもたちに、細かい指示をだすことに似ています。
大人になっても「指示をだしてもらわないとどうしてよいかわからない」
コロナしかり、大雨警報しかりです。
情報を与えられると便利だと言いますが、果たして、どうなのでしょうか。
便利さは、場合によっては「退化」を意味するかもしれません。

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